1518年のストラースブルクにおける舞踏精神疾患の流行現象

Waller, John. A Time to Dance, a Time to Die: The Extraordinary Story of the Dancing Plague of 1518. Icon, 2008.
Midelfort, H. C. Erik. A History of Madness in Sixteenth-Century Germany. Stanford University Press, 1999.
Davidson, Andrew. "Choreomania: An Historical Sketch, with Some Account of an Epidemic Observed in Madagascar." Edinburgh Medical Journal, vol. 13, no. 2, 1867, pp. 124-136, PMC, http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5295884/.
Jacobus, de Voragine ca et al. 黄金伝説. vol. 574, 578, 582, 592, 平凡社, 2006. 平凡社ライブラリー.

1518年の7月にストラースブルクで起きた精神疾患の事件を取り上げたのが、アメリカのジョン・ウォーラーによる『踊る時間と死の時間』という書物。もちろん読んで楽しいが、狭い意味でこの事件に関する重要な素材や発想は、非常に優れた歴史学者であるミデルフォートの『16世紀ドイツの狂気の歴史』に取り上げられているものと近い。広い意味でこの事件を設定する枠組みも面白い。ヨーロッパではライン川とモゼール川沿いの地域で起きるという議論、中世から近世までにわたる時期の事件であるという議論、これは精神医学上の<トランス>であって19世紀の帝国主義の時代にヨーロッパ人が植民地各地で発見したものだという議論などは、説得力があるかどうかは別にして、私は面白く読のでおいた。DL できる19世紀の医学雑誌の論文は手に入れておいた。聖ウィトゥスについては、私が持っている本では平凡社ライブラリーの訳者の注が素晴らしかったので、それも書いておいた。

1518年の7月にストラスブールで起きたのが、市民の間で精神疾患が流行したという事件である。7月にある女性が踊り始めて、これが他の人々によって真似するかのように広まったという事件。200人や400人という数字が上げられていて、当時の人口2万人ですべてが市民であると仮定すると、人口の2%に精神疾患が流行したという大きな減少になる。治療としては最初は疾患であるとして音楽とダンスが処方されたが、これはメリットをもたらさなかった。そのため、宗教的な現象であるとして近くのザフェルネの聖ウィトゥスをまつる祈祷所 shrine に宗教的な罪人たちを送り込んだ。この舞踏性の精神疾患を聖ウィトゥスに送り込んだ絵柄を発展させたものがブリューゲルの版画である。

聖ウィトゥスは、シチリアの名家の出身で、12歳で殉教する美しい少年聖人である。皇帝ディオクレティアヌスの息子が悪霊に憑かれたときに、ウィトゥスが手で触れて悪霊が去ったという事件が黄金伝説にも記録されている。そのため、この少年聖人の聖遺物があると称する土地が150もあり、教会の主保護者・副保護者を合計すると1,300にものぼるという。

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