マダム・タッソーと蝋細工の歴史とジェンダー論

Berridge, K. (2007). Waxing mythical: the life and legend of Madame Tussaud, John Murray.

ロンドンではマダム・タッソーの博物館のすぐ隣に住んでいた時代があった。基本は貧乏だったので一度も行ったことがないし、敵意に近い感覚も持っていた。ただ、冷静に考えてみると、医学の歴史においてとても重要な「蝋細工」waxwork を用いた一大事業を始めた人物が「マダム・タッソー」である。医学史の脈絡で、マダム・タッソーに触れる必要が出てきたので、2007年に刊行された書物を見てみた。著者は医学史研究者ではなく、ほぼ同時期にイタリアのボローニャフィレンツェで大展開している蝋細工には言及していなかったが、重要な点を丁寧に議論している。現在も発展している事業の中で、女性が創業者であったマダム・タッソー博物館が最も重要ではないかということである。

マダム・タッソー」Madame Tussauds の名称で、ロンドンをはじめ、世界各地で蝋細工の人形展が展開している。このマダム・タッソーというのが医学と解剖学を起源とした蝋細工の傑出した女性職人であり、事業主として現代でも世界各地に発展している。彼女に蝋細工を教えたのが、フィリップ・クルティウスという医師であり、スイスで生まれて医学を学び、同時に蝋細工の技芸をマスターした。後者の技能が高く評価されてパリに移住して、蝋細工師として王や貴族に雇用された。クルティウスの助手であった女性の職人の苗字がグロショルツであり、彼女の娘が後に「マダム・タッソー」と名乗るマリー・グロショルツであった。結婚や出生についてはよくわからない。というか、非公式なチャンネルを通ってきたことは明白であるらしい。

マリーは、クルティウスから蝋細工を学んで、最初は果物などを、そのうち人体の皮膚の表現などに卓越するようになった。その技法を用いて、クルティウスが成功させたパリの街で王や女王の蝋人形などが展示されている見世物にも貢献し、一方ヴェルサイユ宮殿で王妃に蝋細工を教えて成功していた。一方で革命が進行すると、ルイ16世マリー・アントワネットロベスピエール、マラーなどの処刑された人々の頭部を蝋細工で再現するようにもなっていった。1795年にクルティウスが没して、王党派や共和派の頭部の蝋人形のコレクションを引き継ぐことになり、その秋にフランソワ・タッソーという機械職人と結婚した。夫のフランソワが蝋人形にはかかわることはなかった。子供を得たのちに、ロンドンに移住して蝋人形展を開催する。ロンドンでは18世紀の初頭から蝋人形展は発展しており、動物、植物、鉱物だけでなく、男性・女性の性器や病理的な標本も展示されていた。ここには、エロティシズムがあった。しかし、マダム・タッソーの蝋人形展はハイライトが変わっていた。1805年にはロンドンで、その後にはスコットランドまで蝋人形を展示した。このハイライトは、男性に限定されていたが、フランス革命の処刑者たちの蝋人形であった。

蝋人形展のハイライトが、エロティシズムから政治性に転換されたといってもよい。それを女性が始めたといってもよい。この点は覚えておこう。