バルドゥンクの魔女と人文主義について

Sullivan, M. A. (2000). "The Witches of Durer and Hans Baldung Grien." Renaissance Quarterly 53(2): 333-401.
 
Seeks to demonstrate that the timing, subject and audience for the art of Durer and Hans Baldung  Grien all argue against the view that witches in their prints and drawings were a reaction to actual  witch-hunts, trials or malevolent treaties such as the Malleus maleficiarum. Dramatic escalation in  the number of witch trials toward the end of the 16th century; Witch as inherited from the ancient world.
 
現代日本のヒステリーの話をしなければならないこと、たまたまG論の予習をしていたときに Hans Baldung の魔女の版画に出会ったこと、そこで面白そうな論文に出会ったこと。そんなことが一致して30分使ってこの論文を読んだ。ルネッサンスの人文学といくつかの重要なアスペクトがうまく重なるとてもいい論文で、この感覚は憶えておこうと決意した。
 
基本は、デューラーと弟子のバルトゥンクが描いた魔女の版画や絵画やデッサンに関する解釈の問題である。初期近代というと魔女狩りの時期であり、『魔女の鉄槌』などを考えると魔女の悪行などをおどろおどろしく書いた書物もあるので、そちらとつなげる解釈がある。しかし、タイミング、主題、念頭においた読者視聴者を考えると、魔女狩りと結びつけるべきではない。むしろ、古典復興の人文主義者が興味を持った神話や詩作と結びつけるべきであるという議論である。とても説得力がある。humanist interest in the poetry and satire of the classical world.  というのである。15世紀の末から16世紀の前半は、魔女狩り自体は件数として減少して、16世紀の後半から17世紀の前半に最盛期を迎えるのである。そのときに、デューラーやバルトゥンクが作っていた魔女の画像などが、魔女狩りと結びついているという枠組みは間違っている。むしろ、復興された古典古代の文学とともに、ダイアナ、ヘカテ、クルケ、メデイア、多くの魔女が登場して描かれている。そちらと結びつけて描かれた画像である。
 
ここは専門家でないからよくわからないが、医学史の研究者として面白い議論は、性的な快感と結びついた軽蔑感の問題である。バルトゥンクが1514年から1515年にかけて作成した画像が、露骨な仕方でセクシュアルな主題であるのは、これも人文主義のある部分であるという議論である。ドラゴンが魔女の性器に舌を差し込むシーンや、三人の魔女が性器をもてあそぶシーンは、人文主義から発展してセクシュアルでポルノグラフィックな主題に入るという話なのだろうか。
 

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