16世紀メキシコの感染症による壊滅の病因について

 
16世紀のヨーロッパとアメリカ大陸の関係は医学史や疾病史の中でも有名な素材である。ヨーロッパが感染症をもたらしたこと、アメリカはそれまでヨーロッパと交通がなかったこと、そのためアメリカはヨーロッパ人がある程度免疫を持っている感染症で壊滅的な死亡が出たこと、これらのことは多くの高校生が知っているだろう。ただ、具体的な説明の再構成に、難しい部分が多い。その疾病は何かという疑問は、いつでも学者たちの間で出ている。
 
今回の研究は遺骨のDNA研究の成果で、かなり重要なポイントである。これまで具体的な疾病については、天然痘や麻疹が強調されていた。それはいい。しかし、今回の研究で、最も大きな被害は、少なくともメキシコにおいては別の疾病である可能性が高いという議論が出てくるだろう。
 
1520年からの第一回目の感染症の大流行、1545年からの第二回目の大流行、そして1575年の第三回目の大流行で、メキシコの人口は壊滅状態になる。もちろん私が知っていたのは、1520年の天然痘の大流行である。エルナン・コルテスによる征服、ティオティワカンの都、ほくそ笑むアステカ人の聖職者たち、そして天然痘の大流行である(増田先生の筆は非常に冴えていた 笑)しかし、人口減を見ると、下げ幅がはるかに大きいのは1545年の流行である。第一回の流行が800万人の死亡、第二回は1000万人から1500万人の死亡が出ている。第三回も200万人の死亡である。いずれも巨大な被害だが、実は第二回がはるかに被害が大きい。そして、この感染症は何かという問題である。
 

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16・17世紀のメキシコ(アズテカ帝国)の人口の劇的な低下の様子
 
遺骨の DNA研究によると、これは腸チフスのような腸熱であるという。これもヨーロッパから持ち込まれたものだが、そのあたりはまだよくわかっていないらしい。腸チフスというのは、保菌者が非常に多く、実はその問題について論文を書いたので、まとめなおしてメモしておきました。