忍者の薬である「忍術丸」の発見!・・・ではありませんでしたが、今度は「麦角」の問題です(笑)

鈴木昶. 日本の伝承薬: 江戸売薬から家庭薬まで. 薬事日報社, 2005.

薬の歴史の本をたくさん書いている鈴木昶(あきら)先生の書物をいくつか読んでいる。彼がまとめた『日本の伝承薬』がピックアップした合計70点の伝承薬を、一つの表にしてまとめてみる仕事を入れることにした。救命丸や実母散などの著名であり伝統もあった伝承薬の一覧という感じになる。とりあえずその仕事をしてみよう。

この中で「忍術丸」という伝承薬が一つ掲げられていて、「えっ!」と驚いた。少し前に忍者は薬の体系を持っていなかっただろうと予測してメモしておいた直後に、一覧表に「忍術丸」がいきなり出てきたのは、一体どういうことなのかと感じた。その章だけをまず読んだが、これは伝承薬ではなく、実は戦後に作られた売薬である。甲賀の忍者屋敷の近くの龍法師という地の近江製剤が戦後に生産したという。薬のレイアウトはたしかに戦後には見えないという面白い点もある。戦後に忍者丸が売薬として新作されたというのは、うまく史実を明らかにすると面白いだろう。

ただ、鈴木昶先生も、室町時代から戦国自体の忍者たちは、薬の大系もないし、持ち運ぶ薬もベーシックなものであったことを的確に書いている。その中で二つの薬が『万川集海』に書いてあるとのこと。あらためてメモをする。

  • 水渇丸 梅肉1両、氷砂糖2匁、麦角1匁。これらを粉末にしてまとめたもの
  • 飢渇丸 人参10両、蕎麦粉20両、小麦粉20両、山芋20両、はこべ類1両、鳩麦10両、糯米(もちごめ)20両。これらを粉末にして酒3升に3年間漬け、酒が乾いたときに桃の実ほどに丸めて作る。

なるほどベーシックである。薬というより、穀物などを粉末にしてまとめた感じである。

一つ気になったのが「水渇丸」で使われている「麦角」である。1匁というから、梅肉1両の十分の一である。「麦角」というのは麦などの穀物に寄生する菌で、有毒有害であり、精神疾患の症状も起こして、しばしば農村部で大流行があった。中世ヨーロッパや20世紀ロシアなどの事例が有名である。それを一匁も粉末にするということがよくわからない。

Wikipedia で「麦角」を引くと、日本の稲にはあまりつかなかったとあった。それとは別に面白い記事があった。昭和18年岩手県で食糧不足のため山に行って熊笹を刈って食料にしたとき、そこに麦角があって妊婦の間で多数の流産が生じたという話である。江戸時代から家畜の間で麦角の被害があったという貴重な情報もそこに書かれていた。ただ、忍者の水渇丸に麦角が使われていることには言及していない。

戦時下の盛岡中学