阿波の近世について・サポンとコッヒーは日本の新薬?(笑)

徳島県薬事協議会. 徳島県薬業史. 徳島県薬事協議会, 1988.
 
8代将軍吉宗が、18世紀の初頭に一連の医療の改革を行った。小石川養生所が作られて、日本ではごく稀な「病院」が生まれたこと、江戸やその郊外に薬草園が作られたこと、オランダ語ができる学者たちがオランダの医学や科学を導入できるようになったことなど、新しい傾向が始まった。江戸だけではなく、幕府から各藩に本草学者を送り、薬の原料である植物などを発見させることを行った。阿波に派遣されたのは、植村佐平治(1690-1777)である。元は紀州家の「お庭方」であり(この役職名がちょっとわからない)、吉宗について江戸に行き、本丸の奥お庭方になり、1720年に駒場に薬園を開いた。彼が1727年に阿波に赴いたときに、複数の地域で薬物を練習することが行われた。一度の演習は、佐平治らの幕府からの使いから、阿波の藩と地域が薬物を学ぶという仕組みであった。170人、あるいは585人が、この仕事に接する大規模なものである。人夫や人足が数的には多いが、医療者や薬草見習いがフィールドに行き、それを武士、町奉行、庄屋、富裕な農民らが支えるという仕組みであった。
 
この影響を受けて、阿波では医学校が設立されるようになり、19世紀にはオランダ医学の影響を受けた。高良斎が編集した『薬品応手録』という面白い資料がある。これはシーボルトの指導に沿って、オランダ医学でよく用いる薬を、日本で利用できるものにしたものである。私は京都大学富士川文庫できれいに見ることができた。日本がオランダ医学と共有しているものが43種、日本が異邦から取り入れている(可能性がある?)のが30種、そして「内部の諸疾を治するに最も緊要なるもの」が27種ある。最後は、ジギタリスなどの新しい薬も入っているが、石鹸やコーヒー(「サポン」と「コッヒー」)なども入っている。