朝鮮の庭と薬草と植民地時代の教化について

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20190127180747.pdf?id=ART0000850470

 

久保, 賢. 在鮮日本人薬業回顧史. 在鮮日本人薬業回顧史編纂会, 1961.に掲載の論文から、朝鮮には家に庭を作り、そこに薬としての機能を持つ植物を植えるかどうかという議論が少し出てきたのでメモ。

川口利一「在鮮役人生活二十年」439-454.
昭和5,6年の頃、総督府の食堂での食後の茶飲み話に花が咲いて、池田医務局長が「朝鮮統治がうまく行かないのは、民心に潤いがなく、無味乾燥の生活をしていることに少なからず影響を受けている。これを教化する一つの方法として、庭先きや空き地に草花や果樹を植えさせ、民心を和らげてやったらどうだろう」とのこと。私は「朝鮮人が屋敷に樹木を植えないのは、屋敷が狭いという以外にこれを植えると家屋に湿気を呼び病人が出るという迷信があるからである。薬草には鑑賞用になる草も木もあるから之を奨励し、その上にここには漢方の知識のある人も多いから薬草から漢薬を作って利用厚生に資したらどうだろう」という。
 
一方で、朝鮮に庭がないことがありえるのだろうかという疑問は、当然ある。「朝鮮に庭はある」という当たり前のことを論じている論文は、冒頭に掲げたけれども、当然のようにある。日本にも個人のお庭はそこそこあるけれども、おそらく、イギリスやNZに較べると、「日本には庭がない」ということになるのと同じ議論のような気がする。