雨水と陽の観念

先週の19日が雨水。しばらく経ってしまいましたが、岡田芳朗と内田正男からメモ。
 
「雨水」を説明するときの岡田と内田の感覚が少し違う。岡田は「大気の気温が上昇して、今まで雪や霰(あられ)として降っているものが雨になる」という空中の現象として説明し、内田は18世紀の末に出版された『暦便覧』を引いて「陽気地上に発し雪氷とけて雨水となればなり」という地上の熱の現象として説明している。その次の「啓蟄」が「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、あなをひらきでればなり」というように、熱が地上から地中に入っていくという流れで季節の経過をつかんでいることからも、『暦便覧』と内田の捉え方の意味が分かる。少しずつ暦の考え方が分かってきた。
 
それぞれの候でいうと、初候が「獺祭魚」(だつうををまつる)。この時期に獺が魚を祭るとのこと。処暑には「鷹祭鳥」としているのと対応しているとのこと。次候が「鴻雁来」(こうがんきたる)あるいは「鴻雁北」(こうがんきたよりす)。日本や中国の普通の土地に住んでいると、この時期のカモなどは北に去るという形である。もちろん北すを「かえる」と読むこともできるが、「来る」はどうするのか、どう処理しているのかよくわからない。末候は「草木萌動」(そうもくほうどうす)。