第二次世界大戦と精神病院と隔離

第二次世界大戦アジア・太平洋戦争は、各国が兵士を陸・海・空に配するという広大な展開もあったと同時に、さまざまな隔離が大規模に実践されていたという一見すると逆説的なこともあった。そこでは、精神病院への隔離が大きな問題となっていた。ドイツの精神障碍者の「安楽死」やユダヤ人などのホロコーストがその象徴であるが、これはもちろんドイツだけではない。アメリカやラテンアメリカの諸国が、日本からの移民を10万人以上も施設に隔離収容したりする政策もあったし、逆に、日本でも戦役から逃れるために、普通の人間が精神病を装って病院に逃げ込んでいるのではないかという疑惑もあった。
 
各国ににおいて、幾つかの著名な作品で、文学と自伝と日記が渾然一体となった作品が、それらの問題を取り上げている。戦争と精神病院の密接な関係、戦時の異様な社会と個人の精神状態の不安定さの関係が描かれている。たとえば、アンネ・フランクの日記では、彼女の一家たちがホロコーストを避けるために逃げ込んだ屋根裏での数年間で、彼女が長期にわたってうつ病の状態でいたことが記されている。
 
As you [=Diary Miss Kitty] can see, I'm currently in the middle of a depression.  I couldn't really tell you what set it off, but I think it stems from my cowardice, which confronts me at every turn.  I have been taking valerian every day to fight the anxiety and depression.
 
彼女の生活や精神状態は、精神疾患とぎりぎりのところまで追い詰められた部分を持ち、精神病院に収容されてもおかしくないような状況である。ナチス・ドイツに占領された戦時下に、精神病院を避けるために選択した屋根裏生活が、逆説的な精神病院性を持っていた。これと似たような状況は、アメリカに移民して女性作家となったYamamoto Hisae が1950年に短編の The Legend of Miss Sasagawara で描いた女性の精神疾患であるし、武田泰淳が『富士』で描いた戦時の富士山麓の精神病院における場面である。