永井荷風の東京の実家への「閉居」

永井荷風. 雨瀟瀟; 雪解. vol. 緑(31)-042-3, 岩波書店, 1987. 岩波文庫.
 
永井荷風は少ししか読んでいない。一連の売春婦との関係があり、『墨東奇譚』などに細かく書かれていて、多くの日本人が漠然とした敵意を持っているだろう。しかし、この佳作集を読んで、20世紀の若い男性の知識人たちに愛されているかが少しわかったし、少なくとも私の仕事の大きな助けになることが分かった。特に印象に残った作品は短編「監獄署の裏」である。「狐」が少年時代の家を思い出しているのに対し、「監獄署の裏」は、アメリカとフランスに遊学して帰ってきてすぐに書いた作品である。
 
一番印象に残るのは、自分の将来に対する父親との葛藤である。父親は、当時は30歳くらいの息子である永井に向かって、仕事は何をするのか、男子一個の名誉を保ち、国民の義務をまっとうすべきかと尋ねた。語学の教師、新聞記者、雑誌記者、芸術家、そのような仕事にはつくことができない。そして、父親に「世の中に何もする事はない。狂人(きちがい)か不具者(かたわもの)と思って、世間らしい望みを嘱してくれぬようにと」と答えた。それに対して父親が「新聞屋だの書記だの小使だのと、つまらん職業に我が児の名前を出されてはかえって一家の名誉に関する。家には幸い空間もある食物もある。黙って、おとなしく引っ込んでいてくれ」と話を決めたのである。
 
これは「閉居」であり、身のまわりの空気はたちまち話に聞く中世期の修道院(モナステール)の中もかくやとばかり、氷のごとく冷かに鏡の如く透明に沈静したという。
 
監獄署の裏
散柳窓夕栄
雨瀟瀟
雪解
寐顔
榎物語
ひかげの花
勲章
内容説明・目次
内容説明
ふらんす物語』の諸篇を除けば、帰朝後の第1作といえる『狐』(1909年)から、敗戦直後刊行された『勲章』(1946年)まで、それぞれの時期の佳品9篇を収める。幼年期に味わった体験…そして老年に至っての心境を作品化したこれらの短篇からも、孤独を求め寂寥に堪えつつ書きついだ強靭な作家の営為を窺い知ることができる。