延喜式祝詞で農耕肥料を妨害する罪であった「屎戸」について

青木紀元. (1985). 祝詞古伝承の研究, 国書刊行会.
 
日吉で青木先生の著作の延喜式の「天津罪」「国津罪」に関する議論、ことに「屎戸」に関する議論を読んでメモしておいた。
 
いくつかの重要で説得力があるポイントがある。罪とされているそれぞれの行為が、スサノオノミコト古事記日本書紀で行ったとされていることと関連があることはもちろん事実である。しかし、それ以前から行われていた罪と祓(はらえ)の概念で考えることが正しい。そしてその罪と祓は古代の農耕社会において重要である。その脈絡の中で「屎戸」を理解するのがよい。
 
実際に、「畔放ち」(あはなち)「溝埋め」(みぞうめ)「樋放ち」(ひはなち)は、あぜ、溝、木で作った水の通路を破壊することで、農耕社会、ことに水田の耕作に対する妨害の行為である。「頻蒔き」(しきまき)は、人が一度種をまいた上に重ねて種をまくこと、いわば播種の阻害である。「串刺」(くしざし)は家畜を刺して殺すことで、「生剥」(いきはぎ)「逆剥」(さかはぎ)とつながり、いずれも家畜殺害の罪である。
 
そして問題の「屎戸」である。「くそと」か「くそへ」なのか、読み方に関する議論がとてもとても難しい。青木先生に従い、とりあえず「くそと」と読んでおく。意味は、農耕肥料であった屎で、その屎にのろいをかけ、相手の農耕生活を阻害する呪術行為であるという。この時期や少しあとの時代には、屎を農耕肥料として用いていたという記述がある。