オンライン授業と野鳥と聴診器の音声

 

オンライン授業などをするため、音声ファイルをよく使う。.mp3 や .mp4 などである。そうすると、なんとなく音声ファイルを使ってみたくなり、サイトを訪問したり、野鳥の音を録音してみたりする。いくつかの野鳥の声のファイル、それから聴診器の楽しいファイルです。聴診器のファイルは、生と死の基準を音の違いがあらわすという、音のメタ言語的な水準を開いたという素晴らしい説明があります。
 
 
 

実験医学とアスビヨン・フォリングと発音辞典

https://www.pronouncekiwi.com/Asbjorn%20Folling

 

授業の予習をしているときに、 phenylketonuria という疾病を実験室で発見した Ivar Asbjørn Følling (1883-1973) のことを少し調べる機会があった。学生に実験室での貢献のモデルを教えるいくつかのエピソードとしてとても優れているのでメモをしておいた。社会的な上昇をする医学者・生化学者が、訪問した家で調子が悪い子供の尿の臭いから、実験室に持ち帰って実験をして、正体をつかむ過程を知ることができる。彼のその場面を丁寧に描いたものもあり、憶えておこう。
 
二つの大きな問題がある(笑) 一つは  phenylketonuria という疾病である。英和をひくと「フェニルケトン尿症」という訳語で入っている。日本では10万人に一人くらいの珍しい疾病であるとのこともあり、あまり丁寧に説明されていない。phenyl は19世紀フランス語から導入された科学用語。ギリシア語の phaino からフランス語の phenyle となった。語義は「光っている」というような意味で、実験の際に光っていた物質であるとのこと。keton はドイツ語から、もともとはラテン語の acetum で、酢という意味。酢のようなにおいがするということだろう。uria はギリシア語・ラテン語の尿という意味。1930年代にIvar Asbjørn Føllingが発見したときに、このような多国語の名前をつけた。
 
もうひとつがIvar Asbjørn Følling をどう読むかである。ノルウェイの人名は、私には難しい。そこで pronouncekiwi というサイトがあった。そこで日本語でどう読むかではなく、世界の各国語 で Ivar Asbjørn Følling をどう読むかという楽しいサイトである。もちろんノルウェイ語の読み方を聴いて、英語を聴いて、面白くて他のいくつかの言語を聴いてみた。フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語などなど。そしてもちろん日本語が非常に面白い。

イタリアン・バロックが歌う日が昇るガンジス川

チェチーリア・バルトッリという美しいイタリアの女性歌手がいる。私たちがロンドンに留学した頃にブレイクした。私にとっても青春の歌手の一人で、オペラの『チェネレントッラ』のCDや、彼女のベスト盤も何枚か持っている。それはどうでもいい(笑)今日は、インドのガンジス川が太陽を昇らせるかどうかという話である。
 
あるベスト盤の最初の唄は、スカルラッティがオペラのために作曲したもので、 Gia il sole dal Gange というタイトルである。お風呂に入るときにぼんやりと聴くもので、これまでの20年間でたぶん数百回は聴いた。今夜、ふと、これは太陽とガンジス川という意味なのだろうかと気がついた。初めてのことである。少し調べてみた。やはりそのような意味である。dal Gange という言葉も少し調べたけれども、やはりインドのガンジス川の意味だろうと思う。

マスクの有効性:中国と韓国のマスク支持、イギリスの断固たる両義性、そして日本の混沌(笑)

www.economist.com

 

エコノミストで楽しい統計の記事。マスクが予防に有効か否かという問題である。

自分が陽性であった場合に、他人を感染させる割合を下げるのにマスクが有効であるという事実は間違いない。一方で、人ごみに行くのにマスクをすることは、「私は陽性の可能性がありますよ」というリスク宣言であることも間違いない。その両義性の中で世界のほとんどの人々はマスクをしている。

ただ一つ鮮明に両義性を尊重し、マスクを拒むのはもちろんイギリスである。そして、第二位は、これももちろん日本である。一方で、中国と韓国は、もちろん鮮明にマスクを支持する側にまわり、アメリカとイタリアは中道である。この謎解きをより詳細にする仕事は住田君にお願いします! 

生活空間と職業空間

大阪市の中心部に道修町資料保存会という団体があり、その会員になっている。そこが『道修町』という機関誌を一年に4回発行している。4ページの短い機関誌だが、紹介される史実の面白さ、写真の美しさ、イラスの楽しさなどがあって、毎回喜んで見ている。2020年の春号である第93号では「軒切り」という主題の文章があり、明治後期から大正期にかけて、道路拡幅・整備にともない軒先を斬る通称「軒切り」が行われたことに関する面白い記事があった。御堂筋が整備されていた時期とのこと。
 
ここでは道修町では1920年にこの軒切りを受けたこと。道幅は現在の約半分程度と非常に狭かったこと、北船場でも特に際立って空気の悪い、埃もうもうの喧騒の町であったこと、各商店の軒先が道にせり出し商品や荷が積まれ、リヤカー、自転車が置かれるなど、人がやっと通れる状況であったとのこと。
 
この状況には、当時の多くの商店主は、商いの場を生活の場として暮らす職住一致の生活様式を取っていたこと、ところが「軒切り」だと、狭くなった商いの場に、商店主とその家族が暮らすことは難しいこと、大阪に商いの拠点を持つ多くの商店主が、芦屋、御影、西宮などに住まいを移し始めたとのこと。
 
道修町界隈の近代化を促した<軒切り>」『道修町』93号(2020) 

16世紀イタリアの『不治の狂気の精神病院』に登場する日本人たち!

Garzoni, Tomaso et al. The Hospital of Incurable Madness: L'hospedale De' Pazzi Incurabili (1586). vol. v. 352,  Arizona Center for Medieval and Renaissance Studies, in collaboration with Brepols, 2009. Medieval & Renaissance Texts & Studies.
 
16世紀末の精神病院は文学者たちによってどのように表象されたのかという主題がある。イギリスだと、シェイクスピア関連の学者たちにとっては慣れ親しんでいる主題だろうし、『憂鬱の解剖』などをゆっくり読む時間があればいいなあと思う。他の国のことも知りたいが、本を少し読んでいるくらいである。イタリアでは、1586年に刊行された『不治の狂気の精神病院』という面白い文学がある。まだこの時期のイタリア文学のことが全然分かっていないなあと思いながら読んでいたら、突然日本人たちが登場したので驚愕してぶっとんだ。日本から送られた男性と女性たちで、数えると合計で一万二千人の日本人である(笑)これはもちろんある狂気の人物の妄想の中に出てくる日本人たちである。
 
もちろん私は素人なので知らないことが多い。その範囲での推察だが、天正遣欧使節で日本人の少年たちがヨーロッパやローマを訪れたことときっと関係があるのだろうかと思う。ローマ法王に面接したのが1585年だから、出版の前年であり、いいタイミングであるような気がする。また、日本から人々が送られてきたというラインであることはその通りである。詩は、まだ読んでいないが、16世紀初頭から中葉に出版された『狂えるオルランド』などの事象が言及されているとのこと。もちろんエラスムス『痴愚神礼賛』も大きな背景であるとのこと。このような人文主義の中で日本の遣欧使節も言及されたのならば、とても面白い。著者に一筆書いてみますね。
 
 
 
Thanks to madness, he has not only silver,
Gold, villas, cities, provinces and kingdoms,
But the entire universe is at his disposal.
And being in power, he creates great projects:
Drying out the seas and lowering great mountains,
so that he may make an eternal mark.
It seems to him that everybody is read
To obey him; he distributes honours;
He ordains kings, generals, marquises, and counts.
There is no region of the world so far away
That it does not pay tribute to him; and now he recieves
The Japanese, at great expense and planning,
Six thousand servants chosen for his service,
And six thousand maids. As for the rest
Of the court, you can judge for yourselves.
Isn't this a happy, merry life?
O dear, sweet, blessed Madness
Through which so much good is made manifest to us!
The end is here; I suggest you hurry.
 
 

1960年代から70年代にかけて精神病院が急増したもう一つの地域 !!

historypsychiatry.com

 

1960年代から70年代にかけて、欧米各国では精神病院の病床の急激な減少がはじまった。一方、この時期に日本では急激な増加が起きる。これは大きな謎だったし、今ではますます大きな謎となっていた。「なぜ?」という問いに答える方法が見つかっていなかったが、とても大きなヒントの論文が出た。同じ時期の中東においても、精神病棟の急激な増加が起きているとのこと。震える手でクリックして、呼吸を整えて読んで、ものすごく多くのヒントに満ちた論文であることを知る。皆さまもどうかお読みください!