フィルヒョーと線虫と豚肉のソーセージ

フィルヒョー (Rudolf Virchow, 1821-1902)という19世紀ドイツのおそらく最も偉大な医師がいる (詳細は省きます) シュリーマンの『古代への情熱』で非常に格好いい役割を果たしている。そこでは私が少年時代に愛読した名場面があって、そこの登場人物がフィルヒョーであることは大学生の時に初めて気がついた。
 
彼は政治的に自由派の政党の設立者の一人であり、非常に活発であったので、ビスマルクに決闘を申し込まれたという、これも非常に有名なエピソードがある。もちろん、決闘は野蛮であるからとフィルヒョーが断ったということが史実である。しかし、史実をはるかに超えた面白い逸話があり、これが数多くの医師や実験室の科学者たちが非常に気に入ったエピソードである。それを授業用にメモしておく。
 
エピソードはもちろん実験室で起きる。年は1865年である。フィルヒョーが実験をしているときに、助手が入ってきて、ビスマルクが決闘を申し込んできたと伝える。それを聞いたフィルヒョーが、彼が武器を提唱することができるなら、これにしようといって、2本のソーセージを出す。一つは普通のソーセージである。もう一つにはせん毛虫がたくさん入っている。このせん毛虫は細くて長い線虫で、それがらせん状になっている。両者の見かけはほぼまったく変わらない。それのどちらかを先にビスマルクが食べることにしよう!と言って、その場が大笑いになったエピソードである。もちろんこれは科学者と実験室が持つ力を描いている。実験室で作られた普通のソーセージとせん毛虫入りのソーセージが決闘の二つの武器であり、偉大な政治家であっても科学者でないと二つを区別できないという部分がある。
 
それに、せん毛虫入りのソーセージは当時のドイツやヨーロッパで大きな感染症のもとであった。野生動物の肉からも感染を受けるが、やはりブタから作るソーセージに含まれる線虫が人々の体に寄生すること、そのため人々が衰弱して死んでしまうことが大きな問題になっていた。ことに1835年のロンドンのバーソロミュー病院で病理解剖されて発見された線虫、1860年ドレスデンの病院で病理解剖された女中が持っていた数多くの線虫、そして同一の家族も持っていた数多くの線虫が重要な発見となった。ちなみに、1870年代には各国で次々と豚肉を検査することが法律化される。
 
フィルヒョーの身振りは、実験医学と社会をつなぐものであった。二つのソーセージが決闘道具であり、それをきちんとすることが社会の健康に貢献しているというメッセージである。この逸話が大人気であったことは重要だし、偽の逸話であったことも重要である。

トゥーレット障害の治療法と腕時計

もう一つ障害の話。これはエスプレッソからで、主題はオリヴァー・サックスが印象に残る形でいくつか書いているトゥーレット障害。もともとは19世紀末のパリの神経医であったジョルジュ・ジル・ド・ラ・トゥーレット (Georges Gilles de la Tourette, が発見した運動障害であるが、それを治療の方向に向かわせる方法が発見されたとのこと。これが面白い治療法で、手のひらに一定のリズムを持って(たぶんすごく小さな)電気ショックを与えると、それが刺激のようになって脳に安定した影響を与え、発作が減少していくとのこと。 イラストもとても面白かったです。さきほど聴診器のところで身体と音のリズムのことを少し考えたあとに、とても面白い記事でした。 
 
2019年にはド・ラ・トゥーレットに最新の伝記が出たとのこと。シャルコーがいて、その弟子たちの一人だが、たしかに伝記はなかった。早速買っておきました! 
 
 
 

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オンライン授業と野鳥と聴診器の音声

 

オンライン授業などをするため、音声ファイルをよく使う。.mp3 や .mp4 などである。そうすると、なんとなく音声ファイルを使ってみたくなり、サイトを訪問したり、野鳥の音を録音してみたりする。いくつかの野鳥の声のファイル、それから聴診器の楽しいファイルです。聴診器のファイルは、生と死の基準を音の違いがあらわすという、音のメタ言語的な水準を開いたという素晴らしい説明があります。
 
 
 

実験医学とアスビヨン・フォリングと発音辞典

https://www.pronouncekiwi.com/Asbjorn%20Folling

 

授業の予習をしているときに、 phenylketonuria という疾病を実験室で発見した Ivar Asbjørn Følling (1883-1973) のことを少し調べる機会があった。学生に実験室での貢献のモデルを教えるいくつかのエピソードとしてとても優れているのでメモをしておいた。社会的な上昇をする医学者・生化学者が、訪問した家で調子が悪い子供の尿の臭いから、実験室に持ち帰って実験をして、正体をつかむ過程を知ることができる。彼のその場面を丁寧に描いたものもあり、憶えておこう。
 
二つの大きな問題がある(笑) 一つは  phenylketonuria という疾病である。英和をひくと「フェニルケトン尿症」という訳語で入っている。日本では10万人に一人くらいの珍しい疾病であるとのこともあり、あまり丁寧に説明されていない。phenyl は19世紀フランス語から導入された科学用語。ギリシア語の phaino からフランス語の phenyle となった。語義は「光っている」というような意味で、実験の際に光っていた物質であるとのこと。keton はドイツ語から、もともとはラテン語の acetum で、酢という意味。酢のようなにおいがするということだろう。uria はギリシア語・ラテン語の尿という意味。1930年代にIvar Asbjørn Føllingが発見したときに、このような多国語の名前をつけた。
 
もうひとつがIvar Asbjørn Følling をどう読むかである。ノルウェイの人名は、私には難しい。そこで pronouncekiwi というサイトがあった。そこで日本語でどう読むかではなく、世界の各国語 で Ivar Asbjørn Følling をどう読むかという楽しいサイトである。もちろんノルウェイ語の読み方を聴いて、英語を聴いて、面白くて他のいくつかの言語を聴いてみた。フランス語、ドイツ語、中国語、韓国語などなど。そしてもちろん日本語が非常に面白い。

イタリアン・バロックが歌う日が昇るガンジス川

チェチーリア・バルトッリという美しいイタリアの女性歌手がいる。私たちがロンドンに留学した頃にブレイクした。私にとっても青春の歌手の一人で、オペラの『チェネレントッラ』のCDや、彼女のベスト盤も何枚か持っている。それはどうでもいい(笑)今日は、インドのガンジス川が太陽を昇らせるかどうかという話である。
 
あるベスト盤の最初の唄は、スカルラッティがオペラのために作曲したもので、 Gia il sole dal Gange というタイトルである。お風呂に入るときにぼんやりと聴くもので、これまでの20年間でたぶん数百回は聴いた。今夜、ふと、これは太陽とガンジス川という意味なのだろうかと気がついた。初めてのことである。少し調べてみた。やはりそのような意味である。dal Gange という言葉も少し調べたけれども、やはりインドのガンジス川の意味だろうと思う。

マスクの有効性:中国と韓国のマスク支持、イギリスの断固たる両義性、そして日本の混沌(笑)

www.economist.com

 

エコノミストで楽しい統計の記事。マスクが予防に有効か否かという問題である。

自分が陽性であった場合に、他人を感染させる割合を下げるのにマスクが有効であるという事実は間違いない。一方で、人ごみに行くのにマスクをすることは、「私は陽性の可能性がありますよ」というリスク宣言であることも間違いない。その両義性の中で世界のほとんどの人々はマスクをしている。

ただ一つ鮮明に両義性を尊重し、マスクを拒むのはもちろんイギリスである。そして、第二位は、これももちろん日本である。一方で、中国と韓国は、もちろん鮮明にマスクを支持する側にまわり、アメリカとイタリアは中道である。この謎解きをより詳細にする仕事は住田君にお願いします! 

生活空間と職業空間

大阪市の中心部に道修町資料保存会という団体があり、その会員になっている。そこが『道修町』という機関誌を一年に4回発行している。4ページの短い機関誌だが、紹介される史実の面白さ、写真の美しさ、イラスの楽しさなどがあって、毎回喜んで見ている。2020年の春号である第93号では「軒切り」という主題の文章があり、明治後期から大正期にかけて、道路拡幅・整備にともない軒先を斬る通称「軒切り」が行われたことに関する面白い記事があった。御堂筋が整備されていた時期とのこと。
 
ここでは道修町では1920年にこの軒切りを受けたこと。道幅は現在の約半分程度と非常に狭かったこと、北船場でも特に際立って空気の悪い、埃もうもうの喧騒の町であったこと、各商店の軒先が道にせり出し商品や荷が積まれ、リヤカー、自転車が置かれるなど、人がやっと通れる状況であったとのこと。
 
この状況には、当時の多くの商店主は、商いの場を生活の場として暮らす職住一致の生活様式を取っていたこと、ところが「軒切り」だと、狭くなった商いの場に、商店主とその家族が暮らすことは難しいこと、大阪に商いの拠点を持つ多くの商店主が、芦屋、御影、西宮などに住まいを移し始めたとのこと。
 
道修町界隈の近代化を促した<軒切り>」『道修町』93号(2020)