戦争と化学兵器と殺虫剤

第一次・第二次世界大戦がアメリカの化学兵器と殺虫剤の開発に与えた影響を論じた書物を読む。

 感染症を制圧するために環境に介入するのは18世紀以来の古典的な方法である。20世紀になると、熱帯医学のマラリア防圧を中心に、都市環境というより自然環境への介入が大規模に行われる。こういった介入を狭く医学・公衆衛生の問題として捉えるのでは問題の重要さを把握しきれない。環境史と環境思想の脈絡の中で捉えるのがより豊かな洞察を生むことは、早くから熱帯医学の研究者たちが指摘していた。この書物は、その方向をさらに一歩進めて、これらの施策が行われていた時代における重要な背景である戦争との結びつきを考察したものである。つまり、「環境と戦争」という、(少なくとも私にとっては)目新しい問題を立て、環境史研究と戦争史研究という二つの切り離されていた領域に橋をかけた研究書である。
 この二つのテーマを結びつけるのに著者が用いた触媒は化学産業、特に化学兵器と農業・公衆衛生目的の殺虫剤である。この書物の本体は、1910年から1960年までのアメリカの化学産業の研究であり、それを通じて戦争と環境の絡み合いを描いていたものである。アメリカの化学産業が、第一次大戦中に急成長し、化学兵器(毒ガス)の生産をきっかけに連邦政府と軍の援助の下で高度な科学技術が注入される先端産業になったこと。平和時の社会に適合するために、軍事研究で蓄積された知識や実際の産物を用いて殺虫剤を生産したが、殺虫剤の広告のレトリックには、戦争のメタファーが多用されたこと。殺虫剤と化学兵器のオーヴァーラップは、日本との交戦におけるDDTと焼夷弾の使用にもつきまとっていたこと。そんなことがわかりやすい文体で書かれている。
 特に印象に残った点を二つ。まず、いわゆる言説分析といわれるメタファーの分析と、ハードな史実の記述がうまくミックスされていること。私なら条件反射的に二つの章や節に分けようとしてしまうようなことを、自然に融合させて書いている。ちょっと感心した。もうひとつは、冒頭近くでトクヴィルを引用しながら触れている、デモクラシーと自然環境の問題である。著者の議論の方向とはちょっと違うが、「ある資源を多数の人が共有することで広がる感染」のようなことも最近考えているので、面白かった。
 本書に引用された「日本人=害虫を殲滅せよ」というような戦争プロパガンダのポスターを見て、不思議な居心地の悪さを感じた。いわくいいがたい、自分でも説明がつかない感じである。不快感でも怒りでも悲しさでもない。なんと表現すればいいのだろうか。

文献は、Edmund Russell, War and Nature: Fighting Humans and Insects with Chemicals from World War I to Silent Spring (Cambridge: Cambridge University Press, 2001).