パリの下水道

 パリの下水道の表象を論じた研究書を読む。
 パリの下水道。公衆衛生と都市計画の勝利の象徴であり、『レ・ミゼラブル』の重要なエピソードの舞台である。この巨大な都市設備とそこで働く労働者は、当時の人々の想像力を掻き立てた。その歴史が書かれることは、当然予想できることである。パリの下水道そのものの歴史、それが死亡率に与えた影響などは、おそらくすでに書かれているのだろう。この書物は、(たぶん)そういった研究をある程度下敷きにして、下水道をめぐる「社会的想像力」を、色々なタイプの資料を自由に渉猟して分析したものである。
 著者が語るストーリーの大きな要素に、「他者としての汚物処理から文明の象徴へ」というものがある。1780年代のミアズマ恐怖が象徴するように、アンシャン・レジームの汚水溜めと少ないながら存在した下水道は、都市を侵す毒の発生地であった。しかし、しかし、1860年代には、下水道は科学技術と文明の勝利の象徴として、パリの名士や淑女、外国からの要人が訪問する名所になっていた。(このあたり、精神病院の変容ととても似ていると思う。)犯罪と革命の温床として19世紀の前半に恐れられていた下水道は、第二帝政期の人々の想像力の中では飼いならされる。少し遅れて、パリの下水を濾過して灌漑した近郊農業は、都会と農村を有機的に一つの共同体に織り込む組織として人々を熱狂させる。1878年にベルリンで似たような制度が採用されたときには、人々の愛国心が高まったという。下水道は、新しい政治的・地理的な秩序を達成した科学技術の力の象徴であった。
 このストーリーも、他のラインのストーリーも、特に驚くような内容ではないが、達者な腕で多彩なマテリアルを使って語られていて、安心して楽しんで読める。それ以上に私の印象に残ったのは、古い想像力と新しい想像力がパリンプセストのように重層しているありさまである。前者の例を挙げると、トロツキーは1917年にペテルスブルクの下水道を調べさせて、下水から武装蜂起をすることを検討したという。色々な可能性を楽しく考えさせる指摘である。(『指輪物語』の地底人とか・・・笑)
 一つ、コンファレンス・ディナーで受けそうな面白い逸話があった。売春の調査で有名なパラン=デュシャトレはこの本の主役の一人であるが、彼は内気な人間で、教えていた学校で学生を口頭試問するとき、自分のほうがあがってしまって震えていたという。また、講義が下手で支離滅裂だったので、講義は2年間しかさせてもらえなかったそうだ。もちろん、基本的には偉大な科学者のほほえましいこぼれ話なのだけれども、特に富裕層を相手に開業して成功するためには対人関係上のスキルが大事だったことを考えると、何か意味があるのかもしれない。

文献は Donald Reid, Paris Sewers and Sewermen: Realities and Representations (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1991).