医学生の講義ノートというジャンルの資料がある。PhDを書いたときには、このジャンルの資料をだいぶ読んだ。このジャンルの資料は日本にもたくさんあるらしい。昨日参加した学会でも、明治期の「研修医」のノートが紹介されていて、とても面白かった。
今日読んだのは、1832年のパリで学んでいた医学生の講義ノートのリプリント。 James Vose という名前で、出身はリヴァプールで医者の息子。ケンブリッジに入学してエディンバラで医学の学位を取った後に、メディカル・グランドツアーの目玉であるパリに半年ほど滞在して臨床講義などに出席したときのノート。一字一句網羅的なノートを取るというより、面白いと感じた部分を重点的にメモしている様子が伺える。この選択的なノートのとり方は、講義録の筆者が医学の初学者ではないことの反映であると同時に、当時の世界最先端のパリで世界トップの講義を聞いても、そう新しいことばかりではなかったことを示すのかもしれない。エディンバラの教育の水準の高さを示すのだろうか。
この講義ノートの中でちょっと異色なのが、1832年にパリに流行したコレラについての記事である。淡々とした講義録の形式ではなく、まとまった記述のスタイルになっている。後から出版するつもりだったのだろう、と編集者は書いている。この記述から、コレラの脅威の前に Vose が当惑しているさまが手に取るように分かる。コレラに対する治療法は何種類かが記録されているが、それらはいずれも効果がない。これは、当時のパリ医学では珍しいことではない。医者たちを不安にさせたのは、病理解剖上の所見とコレラを結びつけることができなかったことである。「死亡したものを検査した結果の所見は常に納得がいかないものだった。解剖の結果、小さな変化が認められることはあったが、しかし死の原因を明確に示すほど大きな、重要な組織の崩壊を見つけることができた症例は一つもなかった。」
コレラが病理解剖学上の病変を示さないものかどうかは、改めて調べなければならない。しかし、もしそうだとしたら、コレラが医学に与えた脅威の一端が明らかになるような気がする。当時医者たちが信頼していた新しいパラダイムが、何の手がかりも与えてくれない謎の病気だったのだろうか。
Quotable な名文句を一つ。 マジャンディはロンドンの医者にコレラについて尋ねられたときに、こう言ったという。 It is a disease which begins where others end - with death.
今日読んだのは、1832年のパリで学んでいた医学生の講義ノートのリプリント。 James Vose という名前で、出身はリヴァプールで医者の息子。ケンブリッジに入学してエディンバラで医学の学位を取った後に、メディカル・グランドツアーの目玉であるパリに半年ほど滞在して臨床講義などに出席したときのノート。一字一句網羅的なノートを取るというより、面白いと感じた部分を重点的にメモしている様子が伺える。この選択的なノートのとり方は、講義録の筆者が医学の初学者ではないことの反映であると同時に、当時の世界最先端のパリで世界トップの講義を聞いても、そう新しいことばかりではなかったことを示すのかもしれない。エディンバラの教育の水準の高さを示すのだろうか。
この講義ノートの中でちょっと異色なのが、1832年にパリに流行したコレラについての記事である。淡々とした講義録の形式ではなく、まとまった記述のスタイルになっている。後から出版するつもりだったのだろう、と編集者は書いている。この記述から、コレラの脅威の前に Vose が当惑しているさまが手に取るように分かる。コレラに対する治療法は何種類かが記録されているが、それらはいずれも効果がない。これは、当時のパリ医学では珍しいことではない。医者たちを不安にさせたのは、病理解剖上の所見とコレラを結びつけることができなかったことである。「死亡したものを検査した結果の所見は常に納得がいかないものだった。解剖の結果、小さな変化が認められることはあったが、しかし死の原因を明確に示すほど大きな、重要な組織の崩壊を見つけることができた症例は一つもなかった。」
コレラが病理解剖学上の病変を示さないものかどうかは、改めて調べなければならない。しかし、もしそうだとしたら、コレラが医学に与えた脅威の一端が明らかになるような気がする。当時医者たちが信頼していた新しいパラダイムが、何の手がかりも与えてくれない謎の病気だったのだろうか。
Quotable な名文句を一つ。 マジャンディはロンドンの医者にコレラについて尋ねられたときに、こう言ったという。 It is a disease which begins where others end - with death.
文献はJohn A. Ross, A Medical Student in Paris in 1832: An Eye Witness Account of the Year of Cholera Pandemic (Stamford: Scientific Era Publications, 1981).