ナラティヴ・ベイスド・メディシン

「ナラティヴ・ベイスド・メディシン」(NBM)の解説書を、英語からの翻訳と日本人による書下ろし、あわせて二冊読む。
 「物語ることをめぐる異種格闘技」が明後日になった。完全に満足がいく準備などもちろんできないが、この機会に、前から読みたいと思っていた本や論文で、なかなか読む機会がなかったものをたくさん読むことができた。
 1998に原著が出版されたNarrative Based Medicineは、意図的に「ゆるく」作ってある論文集である。S.J. グールドなどの有名人が個人的な病気の体験談のようなことも書いているし、編者の一人が患者に書いたパーソナルな手紙形式のものも収録されている。一方で、その翻訳者たちが執筆した書物は、戦闘的なまでに「固く」作ってある教科書である。ナラティヴの理論の説明、対話分析や意味論分析の理論と方法というようなことがバリバリに書かれている。色々な意味でゆるい原著と較べると、日本語の書物の著者たちはアグレッシブに、NBMを規格化しようとしている。そして、その背後には著者たちの明確な戦略がある。「現在までに提唱されてきた、ヒューマニスティックな医療の方法論の多くが、アカデミックな医学の世界に定着できなかった最大の理由は、それらが医学領域における適切な研究法を確立できなかったからだと筆者は感じている。」
 「デジャ・ヴュのめまい」というのは、このセンテンスを読んだときのような感じを言うのだろうな、と思った。既存の医学のパラダイムというか、思考のモードに合わせるために、もとはといえば医学の外か周縁に存在した知識群が変容される、ということは、新しい医学史の教科書を開けば必ず書いてある。さすがに最近は減ってきたが、15年ほど前にはその手の論文が ad nauseam に量産されていた。産科術しかり、歯科学しかり、精神医学しかり・・・ 医学史の教科書で教えられていることが、目の前で「ナラティヴ」にも起きているのか、と感慨が深かった。この、ナラティヴ・ベイスド・メディシンというポストモダンの言説体系を、モダン・メディシンがたどってきたのと同じ道をたどらせようとする戦略は成功するのだろうか。とても興味がある。

文献はトリシャ・グリーンハル/ブライアン・ハーウィッツ『ナラティブ・ベイスド・メディシン-臨床における物語と対話』斎藤清二・山本和利・岸本寛史監訳(東京:金剛出版、1998)と斎藤清二・岸本寛史『ナラティブ・ベイスド・メディシンの実践』(東京:金剛出版、2003)