19世紀のマインド・コントロール・マシン


 18世紀の末のイギリスの精神病患者の人生と彼の妄想を詳細に分析した書物を読む。
 1815年に没したジェイムズ・ティリー・マシューズ は、「世界最初の精神分裂病の患者」ではないが、人生と病像の細部を知ることができるごく初期の分裂病患者の一人である。ロンドンで茶商人だったマシューズは、イギリス政府の命で1793年にフランス革命政府との外交上の秘密任務のためにフランスにわたるが、スパイ容疑で投獄される。その間に発病して帰国した後、イギリス議会での不穏な行動により逮捕される。精神異常を理由に刑事責任は問われず、べドラム精神病院に1797年に収容された。家族らの退院請願(人身保護令の適用の申請)にもかかわらず、べドラムで一生を過ごすことになる。彼の人生と病気の細部が特別詳しく分かっているのは、彼の政治とのかかわり、家族らの退院要求の際に作成された書類、そしてべドラムの医者が記録した彼の妄想の内容である。(John Haslam, Illustration of Madness として1810年に出版され、ロイ・ポーターの解説をつけてリプリントされている。)
 まず、一人の患者の人生だけを書いた、300ページ以上の本が大手の出版社から出ているという状況が、正直言ってうらやましい。フランスとイギリスの古文書を丁寧に読んだリサーチはしっかりしているし、記述と分析の水準も高い。色々と言いたいことはあるが、それは書評で書くことにして、ここでは、素直に感心したと書いておく。フランス革命の動乱の中に秘密の任務を帯びて巻き込まれたマシューズが、自分を取り囲む状況、そしてより広い社会の大きな変化を投影させるような妄想を発展させるありさまが、ヴィヴィッドに描かれている。 言葉を換えると、この書物の本当の主人公は、マシューズというより、彼の妄想である。 動物磁気(メスメリズム)の仕掛けと催眠術がマシューズの妄想のベースにある。 人間が機械の一部として、外からマインド・コントロールされるという、19世紀・20世紀に人々が持つようになる不安を、妄想の中で最初に表明し、そのような状況を告発のがマシューズである、というのが著者の解釈である。
 妄想の内容を歴史分析の対象にするのは、本当に難しい。非常にナイーヴな「反映」の仕掛けで読んでしまうか、フロイト系のちゃらっぽこになってしまう危険が大きい。この書物も、基本的には「反映」であるが、ナイーヴだという印象は持たなかった。妄想の分析というと、ダニエル・シュレーバーの症例が有名で、「シュレーバー産業」とでも言えるほど研究が出されているが、それらにひけをとらない水準だと思う。誰か翻訳してくれないだろうか。
 
文献は Jay, Mike, The Air Loom Gang: The Strange and True Story of James Tilly Matthews, His Visionary Madness and His Confinement in Bedlam (London: Bantam Books, 2003).
画像は、 Illustration of Madness に掲載された、マシューズによるマインド・コントロール・マシンのイラスト。