しばらく前からブログの主題になっている書評を大体書いた。小説の書評をするのは難しかったけど、もう一つの本との対比という感じで、うまくまとめられたと思う。あまり突っ込んだことは言えなかったが、広いパースペクティヴがある書評が書けてちょっと嬉しい。歴史上の精神病患者の妄想をどう読むか、ということが書評の軸の一つになる。その関係で、だいぶ前に読んで面白かった記憶がある、17世紀のドイツの魔女狩りの研究書をひっぱりだして読んでみたので、その内容をまとめる。
私の専門からはだいぶ外れるが、10年前に出たリンダル・ローパーの Oedipus and the Devil は、少なくとも英語圏では評価が定まった傑作のひとつだろう。近世ドイツの魔女裁判の記録から、宗教改革期の人々が持っていた身体像、特に性に関する身体像を読み取ろうという野心作である。硬直したフェミニズム流の魔女裁判解釈では、男性が持っていた女性のセクシュアリティの憎悪が魔女裁判の究極の原因であると捉えられていたが、それを乗り越えた解釈を提出しようとしている。
ローパーは挑発的に精神分析の概念を、彼女のフィールドであるアウグスブルグの魔女裁判記録の解釈に持ち込む。魔女が犯したとされる犯罪の多くは、前エディプス期、口唇期の中心である身体現象に基づいているという、特に母乳を飲ませる産婦、母乳に依存している乳児の身体は、魔女告発の中心になる。母乳が出なくなること、新生児の体液が吸われて干からびてしまうことなどが、魔女告発の原因になる。人間、特に女性と子供の身体に流れている液体は、魔女の悪しき技の格好のターゲットになると恐れられていた。魔女告発のファンタジーとしては、サバトへの飛行と悪魔との性交が名高いが、ローパーによれば、これらの行為は悪魔学(デモノロジー)のハイライトではあっても、実際の告発では少ないし、魔女と告発されたものたちの自白においても、拷問があったにもかかわらず、これらの行為は顕著でないという。性交よりも飲食、性器よりも口唇が、近世の身体のバルネラビリティの中心である。(ここには、C.W. バイナムの明白なエコーがある。)
この、きわめて液体的な近世ドイツの身体のファンタジーと較べたときに、19世紀初頭のマシューズの妄想は、きわめて「気体的」である。マインド・コントロールと拷問の道具は、磁気流体であり、その磁気流体が作られる原料は悪臭である。(私の授業を履修している学生が大好きな言葉を使うと「ミアズマ」である。)近世から近代への妄想の変遷の歴史などを、もし万が一書く機会があるとしたら、液体的身体像から気体的身体へ、ということが言えるかもしれない。実は、今年の秋から組織しなければならない研究会でも、そんなことを取り上げようと思っている。
文献は Roper, Lindal, Oedepus and the Devil: Witchcraft, Sexuality, and Religion in Early Modern Europe (London: Routledge, 1994). 私はまだ読んでいないが、彼女が Daniel Pick とともに編集した Dreams and History (2003) も評判がいいらしい。