マーク・ハリソンの近現代疾病史の新しい教科書を読む。
授業が始まって、その準備をしなければならないので、色々な本を読み漁るようになった。「研究モード」に入っているときは、その負担が大きいのと、あまりブログに書くような多くの人が興味を持ちそうなマテリアルを読まないので、ブログの更新が遅れがちになる。ブログを書いている多くの人にあてはまることだと思うが、更新のために面白そうな本を読むというのが、ほどよい緊張と刺激になっている。
欧米、特にイギリスでは医学史研究にこの20年ほどで巨額の資金が注入された結果、研究が劇的に進展し、教育の基盤が整備されたので、教科書出版が一つのブームになっている。Open University からは教科書・資料集が 1500-1800年とそれ以降で2セット(Peter Elmer とDeborah Burton)、ケンブリッジとオクスフォードからは、それぞれカラーの図版がたくさん掲載された multi-authors の本が一点ずつ(Roy Porter ed., Cambridge Illustrated History of Medicine; Irvine Loudon, Western Medicine: An Illustrated History )、イギリス近代ということに話を限れば、個人の書き下ろしによる教科書が2点(Anne Hardy, Joan Lane)ある。これらは基本的に「医学と医療の歴史」である。「病気の歴史」というのは、それと重なりつつも、力点の置き方がかなり違う記述が必要で、私の1・2年生向けの授業ではラトガースから出ている J.M. Hays, Burdens of Disease に半分くらい準拠して構成してある。
この、かなり混んでいるジャンルに、若い実力者のマーク・ハリソンが新たな教科書をひっさげて乗り込んできた。帝国医療の研究者だけあって「世界」の地理的なカヴァーは抜群だし、世界の社会・経済構造を見据えて書かれている各章のトップも良い。疾病の歴史は、明らかに新しい洗練の段階に達したことを宣言しているような書物である。水準が高い、現段階では最高の教科書であることは疑いない。
しかし、いくつかの欠点も目に付く。最大のものは、グラフも図版も概念図も一枚もないことである。これは、同年に出版されたCliff, Haggett, Smallman-Roynor のケンブリッジのチームによるWorld Atlas of Epidemic Diseases (Oxford; Oxford University Press, 2004) と較べると、一目瞭然である。確かに、ハリソンの本とクリフらの本を較べるのはフェアではない。前者は学生向けの価格を抑えた教科書だし、後者はカラー印刷の3 万円ちかく するフォリオ判の豪華本である。クリフたちには到底望むべくもない歴史的な視点はハリソンの本に無数にある。しかし、地図と表とグラフなしで、疾病の歴史を、学部生に本当に紹介できるだろうか?疾病の歴史が持っているユニークな可能性というのは、自然科学と空間分析を伝統的な歴史学の手法に取り込むことではないだろうか?疾病の歴史にとって、地図やグラフというのは付属的なものではなく、一つの本質だと私は思っている。
・・・とブログで書いておくと、次に書こうとしている近代日本の疾病史の本を作るとき、「ほどよい緊張」が作用してくれるかな、という邪心もないわけではない。
欧米、特にイギリスでは医学史研究にこの20年ほどで巨額の資金が注入された結果、研究が劇的に進展し、教育の基盤が整備されたので、教科書出版が一つのブームになっている。Open University からは教科書・資料集が 1500-1800年とそれ以降で2セット(Peter Elmer とDeborah Burton)、ケンブリッジとオクスフォードからは、それぞれカラーの図版がたくさん掲載された multi-authors の本が一点ずつ(Roy Porter ed., Cambridge Illustrated History of Medicine; Irvine Loudon, Western Medicine: An Illustrated History )、イギリス近代ということに話を限れば、個人の書き下ろしによる教科書が2点(Anne Hardy, Joan Lane)ある。これらは基本的に「医学と医療の歴史」である。「病気の歴史」というのは、それと重なりつつも、力点の置き方がかなり違う記述が必要で、私の1・2年生向けの授業ではラトガースから出ている J.M. Hays, Burdens of Disease に半分くらい準拠して構成してある。
この、かなり混んでいるジャンルに、若い実力者のマーク・ハリソンが新たな教科書をひっさげて乗り込んできた。帝国医療の研究者だけあって「世界」の地理的なカヴァーは抜群だし、世界の社会・経済構造を見据えて書かれている各章のトップも良い。疾病の歴史は、明らかに新しい洗練の段階に達したことを宣言しているような書物である。水準が高い、現段階では最高の教科書であることは疑いない。
しかし、いくつかの欠点も目に付く。最大のものは、グラフも図版も概念図も一枚もないことである。これは、同年に出版されたCliff, Haggett, Smallman-Roynor のケンブリッジのチームによるWorld Atlas of Epidemic Diseases (Oxford; Oxford University Press, 2004) と較べると、一目瞭然である。確かに、ハリソンの本とクリフらの本を較べるのはフェアではない。前者は学生向けの価格を抑えた教科書だし、後者はカラー印刷の3 万円ちかく するフォリオ判の豪華本である。クリフたちには到底望むべくもない歴史的な視点はハリソンの本に無数にある。しかし、地図と表とグラフなしで、疾病の歴史を、学部生に本当に紹介できるだろうか?疾病の歴史が持っているユニークな可能性というのは、自然科学と空間分析を伝統的な歴史学の手法に取り込むことではないだろうか?疾病の歴史にとって、地図やグラフというのは付属的なものではなく、一つの本質だと私は思っている。
・・・とブログで書いておくと、次に書こうとしている近代日本の疾病史の本を作るとき、「ほどよい緊張」が作用してくれるかな、という邪心もないわけではない。
文献はMark Harrison, Disease and the Modern World: 1500 to the Present Day (Oxford; Polity Press, 2004).
画像は、クリフらの書物のカヴァー
画像は、クリフらの書物のカヴァー