自然と社会


先週の研究会の話の続きである。ハーヴェイの本と並んで最も大きなインスピレーションになったのは、Joshua Lederberg の論文であった。1970年代までの感染症の制圧を、「ヒトの生物学的な脆弱性を、人間が持つ社会と文化によって克服してきた過程」と捉え、その後の新興・再興感染症の脅威を、このナラティヴの破産宣告であると看做す、人文社会系の学者にはなかなか思いつかないパンチ力がある発想で書かれた論文である。歴史的な議論はないに等しいが(苦笑)、大きな枠組みというのは大体そういうものであっていい。こんな脈絡で、秘書が借り出してくれた本の柱の中に、PorterとTeich のチームが編集した「自然と社会」ものがあったので、懐かしく思いながら喜んで読んだ。
 二つ採られていた中世(一つはビザンチン、もう一つはイングランド&ウェールズ)の狂人の処遇の論文がやはり一番目を引いた。特に、この10年間、精神医療の「空間」を論じて、精神医療の歴史に新しい息吹を吹き込んできたクリス・ファイロの論文が良かった。ファイロの議論は、結論風に言ってしまうと、中世の精神医療は、街の外への追放、治療効果がある聖なる泉での滞在、監獄や修道院への閉じ込めなどの、空間的処置 (spatial practice) を用いて行われていたこと、そしてこの処置は多様であったというようなものだが、イギリスの多くの優れた歴史研究と同じように、具体的な分析に読み応えがある。特に、ケルト文化が色濃く残っていた地域には聖なる泉の治療が分布し、一方ローマ化・ブリテン化された地域には、修道院などのより組織的な空間的な処置が存在したという洞察は、これからの研究の一つの鍵になるだろう。日本の中世から近世にかけての精神病治療の場所については、小俣和一郎さんの優れた仕事があるが、その研究を思い出した。

文献は、Teich, Mikuláš, Roy Porter, and Bo Gustafsson eds., Nature and Society in Historical Context (Cambridge: Cambridge University Press, 1997).

画像は、中世の「狂犬病」の治療