アフリカの牛疫



「未読」の山の中から、1890年代のアフリカの牛疫についての論文を読む。

 牛疫(rinderpest) の流行としては、1880年代にイタリアからエリトリアに持ち込まれて、90年代、特に1896年から98年にかけてのアフリカ全体に広まって、サハラ以南の牛の80-90%を斃したものが特に有名である。当時、貴重な農耕の動力(というのだろうか)であり、牛乳を出してくれる家畜であり、最も重要な財産であった牛が、罹患してから2週間足らずでばたばたと死んでいく大流行が与えたショックを分析したこの論文は、前から読みたいと思っていた。

 まずこの論文で一番面白いことを書こう。それは、当時の「うわさ」を分析した部分である。牛役は、原住民を痛めつけて支配するために白人が持ち込んだ毒物によるものだ、という陰謀説は、原住民の間で野火のように広がっていた。白人たちはこのうわさを知って、「原住民は感謝という言葉を知らない」「無知で迷信に凝り固まった野蛮人は科学を知らない」と、絵に描いたような帝国主義者的なことを言う。この論文のポイントはしかし、この「うわさ」の読み方である。「うわさ」は、原住民の不満を表現するユニークな手段であった、というのだ。そして、このような角度から見てみると、このうわさは必ずしも根拠がないことではない。イギリスの植民地行政や伝道団体は、実はこの牛疫を歓迎していた。当時、鉄道建設や鉱山の開発に必要な原住民の労働力をなかなか集められなかったイギリスにとって、牛疫は、原住民の自足的な生活を破壊して大量の賃金労働者を発生させることができる天恵であることを、彼らは知っていた。プロテスタントの伝道師たちは、牛疫によって生活の糧を奪われた原住民は、初めて額に汗をして労働することを学ぶだろうとほくそえんでいた。(同じように、原住民にとっての危機が、労働者を増やして賃金を下げ労働時間を長くするのに役立つことを、イギリス人たちは数年前の旱魃のときに経験していた。原住民が、牛疫は白人が持ち込んだ毒だと言ったのは、もちろん厳密には正しくない。しかし、彼らが置かれた状況と、イギリス人の関心の本質を「斜めから」捉えた形になっている。

 この部分を初め、全体にとても面白い論文なのだが、私がよく分からないのは、この著者自身(フーフォロ、と発音するのだろうか)によるこの論文の位置づけである。この論文は、19世紀のコレラを題材に取ったエヴァンズの古典的な論文への応答という形を取っている。1988年にPast and Present に掲載されたエヴァンズの論文は、おそらくコレラについての論文の中で一番引用頻度が高いもので、必読の傑作のひとつである。でも、エヴァンズ論文の本当の論点は、フーフォロが言う「19世紀のコレラはヨーロッパで革命を起こさなかった」ではないと私は思っている。(エヴァンズ自身がそういう枠組みで書いてしまっているのが悪いのだけれども・・・)

文献は、Phoofolo, Pule, “Epidemics and Revolutions: The Rinderpest Epidemic in Late Nineteenth-Century Southern Africa”, Past and Present, No.138(1993), 112-143.
画像は、2001年のイギリスの口蹄疫の時に、焼かれる牛の死体。このときには、感染を食い止めるためにイギリス中で牛が殺されて、野に死体が積み上げられて焼かれた。牛のアポカリプス( Apocalypse Cow) と言う駄洒落が空々しく響いた。