母乳保育の歴史


 母乳保育とその衰退の国際比較史を読む

 国際比較という手法は医学史でも盛んに(あるいは安易に)試みられている。その中でも、20世紀の母性運動というのは、国際比較の研究が充実している分野の一つである。論文集も何点か編まれているし、日本では川越修先生の仕事もある。新着雑誌(といっても、「未決山」に埋もれていた去年の春号だが)に、結核の歴史の実力者のリンダ・ブライダーが、アメリカ、イギリス、ニュージーランドの母乳保育の比較史の研究を掲載していたので喜んで読む。

 公衆衛生の調査では母乳が人工乳に対して圧倒的に優れていることが疑問の余地なく証明されていたにもかかわらず、各国の小児科医が母乳/人工乳に対して取った態度には微妙な温度差があった。この温度差と、時間的な変化を素描することが、ブライダーの論文の狙いである。

 アメリカの医者の間では、戦前から科学技術信仰を背景に持つ授乳の医学化が始まっていた。文明の病に悩む神経衰弱気味の女性たちは、不可避的に正常な母乳を出すことができないと信じられていた。文明化された女性は、母親であるためにも、科学の助けが必要なのであり、科学的に成分をコントロールされた人工乳は、母乳に肩を並べることができた。出産の場が自宅から病院に移り、新生児が医療スタッフの管理の下で定時授乳 (routine feeding) が行われたことも、母乳の衰退につながった。しかし、イギリスやNZの例が示すように、出産の場が病院に移ったことは、自動的に母乳保育の衰退につながるわけではない。イギリスやNZで戦後に母乳保育が衰退したのは、色々な要因があって、女性労働が増えたこと、当時の価値観では母乳の分泌という動物的な行為は進化論的過去の遺物になったという雰囲気があったこと、「自然出産運動」と医者たちの対立などの事情があった。

 素描的な論文だけど、「色々な国でほぼ同じだ」と言って単純に喜んでいたかつての素朴な研究と違い、きめこまかい議論への道をつけている。特に、フロイトの影響のもと、乳児の栄養中心のモデルから乳児と母親双方の心理的充足に重きをおいたモデルへと母乳保育の意味づけがシフトしたところが新鮮だった。私が読んできた研究所は、母乳保育というと死亡率に注目することが多かったが、心理面に光を当てようとしたところが新鮮だった。

文献は、Bryder, Linda, “Breastfeeding and Health Professionals in Britain, New Zealand and the United States, 1900-1970”, Medical History, 49(2005), 179-196.
画像は、20世紀シリアの母乳保育キャンペーンのポスター、NLM(National Liberary of Medicine) より