人種的隔離の起源


 南方医学のリサーチのついでに、ずっと読みたいと思っていた人種的隔離の医学的起源についての古典的な論文を2点読んだ。

  “segregation” に人種によって隔離するという意味が現れたのは、20世紀の初めだという。手持ちのOEDでは1903年が初出である。ちょうどこの時期に、それこそ太古の昔から続いていた人種・民族的な隔離を正当化するという作業が行われた。人種的隔離のイデオロギーが編み出されたのである。同じ時期の経済と社会において、人間同士の接触、それも異なった人種間の接触が高まっていた時期に、正当化のイデオロギーが現れた。現れた場所も、通常 プログレッシヴだと考えられている空間、例えば交通が盛んな都市であり、工場である。そして、これは例えば奴隷制の擁護などの当時の基準で言って反動的な思想の産物ではなく、総じて穏健あるいはリベラルな人々が発展させて支持したイデオロギーであった。 

 カーティンの議論は有名であるが、私は現物を読んだのは初めてである。(こういう本や論文がなんと多いことか・・・) カーティンによれば、20世紀前半のアフリカにおいて「人種的隔離のイデオロギー」の確立に最大の貢献をしたのが、熱帯医学、特にマラリアのメカニズムの解明である。蚊が原虫を媒介することが明らかになった今、マラリアを予防する有力な方策の一つは、ホスト(マラリア原虫を血液内に持つ人間)を刺した蚊が、再び刺すことができないだけの距離をホストから保って生活することである。これはつまり、「マラリアに罹っているリスクが高い人間を避けろ」ということであった。原住民の調査でマラリアのキャリアーが多いことが明らかになると、すなわち原住民から離れて暮らせ、ということになる。白人たちが高地や丘に暮らすということは、結果的にすみわけになったにせよ、そこで避けられているのは「悪い空気」であって、原住民そのものでなかったのとは大きくロジックが違う。

 カーティンは、このように医学の人種的な隔離のイデオロギーの確立への貢献を強調した。セルは、インドの例を取って、カーティンのいうメカニズムで作られた隔離のイデオロギーが短命であり限定的な役割しか果たしていなかったことを論じてカーティンを批判している。とてもいい、大学院のセミナーで読ませるのに最適な exchange である。

 話はずれるが、ロスが発見したマラリア原虫の生活環は、「おぞましくも美しい」と表現するのがぴったりだといつでも思っている。毎年授業で必ず生活環を見せる。ヒポクラテスの誓いなんて忘れていいから、これを「おぞましくも美しい」というセンスを共有して欲しいからである(笑)。それで、大体毎年、これに続けて『エイリアン』の話をする。マラリア原虫は赤血球を食い破って出てくるけど、これが大きくなったら、『エイリアン』そのものだろ、というような話である。 

 マラリア原虫は、ある生活相ではオスとメスに分かれ、有性生殖をする。・・・『エイリアン4』の出生シーンもかなり「おぞましくも美しい」ものだったけど、オスのエイリアンと、雌のエイリアンのセックス、これは極めつけかもしれない・・・と妄想に浸ってしまいました。

文献はCurtin, Philip, “Medical Knowledge and Urban Planning in Tropical Africa”, American Historical Review, 90(1985), 594-613; Cell, John W., “Anglo-Indian Medical Theory and the Origins of Segregation in West Africa”, American Historical Review, 91(1986), 307-335.
これと関係が深いマラリア対策における二つのパラダイムについては、脇村孝平「アノフェレス・ファクターとヒューマン・ファクター」見市他編『疾病・開発・帝国医療 アジアにおける病気と医療の歴史学』(東京:東京大学出版会、2001)が優れた展望を与えてくれる。
画像は、マラリア原虫の生活環。WHOのアラビア語サイトより。