大正期の精神鑑定

 久しぶりに大学に行ったら、研究室の方に沢山の論文をご恵与いただいていた。その中で、かねがねご令名は伺っていた気鋭の日本の精神医学史の研究者の兵頭晶子さんからご論文を沢山送っていただいた。近代日本の憑物・憑依と異常心理をめぐる言説の非常に水準が高い論考で、興奮して読んだ。

 頂いたお仕事の中心になっているのは、大正期の大本教をめぐる精神鑑定事件である。精神鑑定というのは、方法論と思想的な前提を備えた学問であり、それと同時に司法のメカニズムの中で社会的な機能を果たす営みでもある。この二面性を色濃くもった精神鑑定の歴史という分野は、思想史と社会史が出会う領域として、過去20年くらいの精神医療史研究を牽引してきたトピックである。もちろんフーコーも書いているし、Jan Goldsteinの分析も有名である。兵頭さんも、それぞれのアスペクトについて一本ずつ論文を書いている。前者の概念的なアスペクトについては、唯物論的な精神医学の中で定義される機能的な精神概念に対して、より実体的な精神概念が、さらに二種類に分かれ、その一方が大本教に、もう一方が大本教を批判した、より「科学的な」論客によって構想されていたと論じられている。後者の社会的なアスペクトについては、不敬罪を精神異常の産物として処理するためのメカニズムが分析されている。

 これらの論文は、色々なインスピレーションをスパークさせてくれた。まず、唯物的な精神医学とは、具体的には、誰の、どんなプログラムだったのだろうか?という問いである。(エドワート・ショーターが指摘するように、このいわゆる「正統」精神医学の歴史は、過去50年の精神医学の歴史研究の中で徹底的に無視されてきた。)もう一つは、どうして明治以来の憑物の研究は、地方におけるフィールドワークという形を取るのだろうか?という問いである。精神医学の疫学的な視点(都市化・近代化とともに憑依現象が減る?)もあるが、憑物研究に見られる都市 vs 地方という枠組みは、例えばフロイトの精神分析やメスマーの催眠術の基本的な枠組みであった、都市の富裕な上流・中産階級の中で開発されたテクニックと、根本的な違いを有しているような気がする。
 
 これから、数年後を見越して、精神医療の歴史へのリハビリを始めようと思っている。その出発点の刺激を与えてくれました。どうもありがとう。

文献は、兵頭晶子「大正期の<精神>の概念 - 大本教と『変態心理』の相克を通して-」『宗教研究』 No.344 (2005), 97-119; 「憑依が精神病にされるとき―人格変換・宗教弾圧・精神鑑定―」『文化/批評』2006年冬季号 105-128; 「喜田貞吉における<憑物>問題をめぐる再検討 - <患者筋>の発見と<憑物筋>への眼差し」『日本思想史研究会会報』No.21(2003), 33-47; 「<もの憑き>を語る儒医 - 近世日本における医家の自己規定とその諸相」『日本思想史学』No.35(2003), 151-168.