宗教的寛容の歴史

ご恵与された論文の紹介の続きである。数年前に一緒に仕事をしてからずっと尊敬している那須敬さんが近著を送ってくださったので、喜んで読む。17世紀イングランドの宗教的寛容という古典的な問題を、とても面白い視点で扱った論文である。

 1649年に『コーラン』を初めて英語訳したAlexander Ross という人物は、これまでの17世紀イングランドの科学史・思想史の文脈の中では、保守反動的な三文文士と位置づけられていた。『コーラン』の英語訳と、その4年後に出版された『世界宗教大全』という著作に焦点を当てて、内容としては「異端」を攻撃するジャンルの作品が、逆説的に宗教的な寛容の素地となった、という議論である。特に、異端の学説の百科事典的な「カタログ」という形式が、宗教的信仰の複数性を強調するという部分が、面白かった。カタログという形式が生み出した言説の空間が持つ形式的な複数性が、言説の内容における信仰の相対性(例えばロックの寛容論など)の起源を考える上で重要である、という方向の指摘だと思う。この言説空間を、フーコーならばエピステーメーと呼ぶのかもしれない。那須さんの分析に、出版と三文文士の生活の社会史を組み合わせると、ダーントンの『革命前夜の地下出版』のような方向になるのかもしれない。

 色々な学問的な思索を誘い、現代の状況への絶妙なエコーを効かせた、那須さんらしい心に残る論文である。どうもありがとうございました。

文献は、那須敬「17世紀イングランドの異端学と宗教の複数性―A・ロスの英語訳『コーラン』と『世界宗教大全』―」『西洋史学』No.219(2005), 173-188. 同時に、那須敬「反寛容の構築―イングランド革命期の異端論争を再考する―」『歴史学研究』12(2005), 15-27. もいただいた。