ペスト流行記

 イギリスの「ペスト流行記」を分析した論文を読む。

 『ロビンソン・クルーソー』で有名なダニエル・デフォーに『ペスト』という作品がある。ロンドン最後の流行となった1665年のペストを、当時の一市民の目から見て語るという仕立ての作品で、1722年に出版された。わざわざ60年近くも前の流行病をデフォーが取り上げた背景ははっきりしている。1720年のマルセイユで、西ヨーロッパ最後の流行となる、ベストの流行があった。この対策のため、イギリスはパニックに近い状態に陥る。ウォルポール政権は、検疫体制を敷くが、それがイギリスの自由と人民の権利を侵すものと批判され、1722年に規制を緩めた法律に改訂しなければならなかった。状況証拠から考えて、デフォーの作品の一つの目的は、政府の政策を擁護することであり、また、時流に乗ったキャッチーなトピックを取り上げて売り上げを伸ばす目的も当然あっただろう。デフォーの『ペスト』は、基本的に政治ジャーナリズムの作品である。
 
 ここまではかなり有名な話で、医学史家の間では常識に属すると思う。しかし、『ペスト』という作品を読んだ人なら、この性格付けに違和感を覚えるだろう。「政治ジャーナリズム」という言葉が似つかわしくない、とても優れた文学なのである。私はだいぶ前に平井正穂訳で読んだが、この敬虔な英文学者も感動を隠していなかった。デフォーの『ペスト』には、政治ジャーナリズム性と文学性と、二つの面があるな、ということを漠然として謎として意識していた。

 この論文を読んで、長年の謎が一気に氷解した!まず、イギリスのプロテスタンティズムの文脈で、政治・宗教的な教導の目的のために、歴史的事件を人々に感銘を与える仕方に加工して表現する伝統がある、という。この伝統はペストを通じて神の摂理を語るペスト流行記ものに強かった。それと同時に、デフォーのペストには、さらに新しい要素が付け加わっている。語り手である”RE” の主観的な感情の揺れや体験などが、社会の中の現象の記述と統合されているのである。そして、これこそ「小説」というジャンルの手法に他ならない。イギリスのプロテスタンティズムの長い伝統と、小説という新しい表現形式を備えた「政治ジャーナリズム」が、デフォーの『ペスト』という作品なのであった。

 寡聞にして知らなかったが、この論文の著者は「出来る」学者である。彼女の本を読まなければ。

文献は Margaret Healy, “Defoe’s Journal and the English Plague Writing Tradition”, Literature and Medicine, 22(2003), 25-44. 彼女の本は、
Fictions of disease in early modern England : bodies, plagues and politics (Houndmills: Palgrave, 2001)