闘病記というジャンル

 アメリカの「闘病記」文学を概観したパイオニア文献を読む。

 日本でも「闘病記」というジャンルは確実に定着し拡大している。重篤な病気にかかった本人やその家族などが、病気と死の経験をつづった作品である。このジャンルの作品を専門的に扱う本格的な古書店(「パラメディカ」)まで存在する。アメリカにおけるこのジャンルの作品を包括的に研究した先駆的な研究が、ホーキンズという、もとはといえば中世文学の研究者によって書かれている。彼女の優れた論文を幾つか読んで、この人の本は読まなければ、と思っていたのだが、マイナーな出版社から出ていることもあって入手が難しかった。やっと注文していた本が届いたので、喜んで読む。期待に違わない著作だった。

 ホーキンズは、日本語で「闘病記」と呼ばれているジャンルをパソグラフィ pathography と名づけ、このジャンルの作品によく見られる幾つかの基本的なモティーフを「神話」myth と呼ぶ。病気を通じた再生と回心、病気との闘争、健全な精神、などが、彼女が言う「神話」である。中世文学の研究者だけあって、文学、特に宗教的な文学のキャノンの読みで鍛えた実力が、20世紀のアメリカの闘病記の読みでも縦横無尽に発揮されている。臨床の事情も良く知っているだけあって、現代の医療との的確な関連付けも織り込まれている。キャサリン・ハンターの著作と並んで「臨床医学の物語的転回」を語るための必読文献の一つである。

 豊かな内容の書物で、全体を紹介しようとすると長大になってしまうから、一つだけ。著者は、パソグラフィというジャンルは、1950年代に突然のように現れたものだという。そして、その原因の一つを、我々の健康と病気に対する態度の変化に求めている。すなわち、かつて病気はありふれた現象で、人生のインテグラルな部分であったから、普通の自伝や伝記の中に病気の記述が織り込まれていた。病気だけを切り出して、独立した物語の主題にすることの背景には、病気を人生の中で特別な、あるいは異常な事態であるとする、態度の変化があるという。これは、とても面白い説明だと思う。それと同時に、さまざまな思索と反論を誘う。色々思いつくが、一つだけ。フィクションとしての闘病記は、明らかにホーキンズがいうパソグラフィに、少なくとも100年は先んじている。特に結核を中心にして、19世紀には「病気文学」が花開く。このクロノロジーが正しいとすれば、なぜフィクションとしての病気文学よりも、ノンフィクションとしてのパソグラフィの方が遅いのか、考えなければならない。この問いに対して答える一つの方向は、フーコー流の「自己の技術」の問題だと思う。

文献はHawkins, Anne Hunsaker, Reconstructing Illness: Studies in Pathography, 2nd ed. (West Laayettte, Indiana: Purdue University Press, 1999). 「パラメディカ」のホームページは以下の通り。
http://homepage3.nifty.com/paramedica/