医学と視覚の民衆文化



 おなじく、Ikkaku Ochi Collection のための付け焼刃の勉強のために読んだ本からである。木下直之の『美術という見世物』のちくま学芸文庫版である。直接関連する章は二つくらいしかなかったが、余りに面白かったので、つい全部を一気に読み通してしまった。

 本全体としては、幕末明治以後に日本に移入された西洋美術の技法を、アカデミックな高等近代芸術としようというエリートの力学とは別の、それらを在来の手法やテーマや表現形式と組み合わせて「見世物」を作り出していく大衆的な「美術」の流れを描く、というものである。話としては、「美術」というカテゴリーが成立するための制度的・文化的な条件と、その成立過程で差異化し排除しなければならなかったものを描いている。リアリズムの問題や国家と表象の問題など、大きな主題にも触れられる。しかし、この本の本当の魅力は、すさまじい博覧強記と膨大なリサーチを軽々と身にまとって、流れるような筆致で語るところにある。イギリスの歴史家で言うとキース・トマスを髣髴とさせる豪腕である。

 特に読みたかったところは、国産人体模型の話である。幕末以来見世物として人気があった「生人形」の作家として名高い松本喜三郎が、明治5年に大学東校(東大医学部の前進)から依頼されて、解剖人体模型を製作したというエピソードである。松本順はその出来ばえに感服したという。長崎のポンペのもとで死体解剖の必要性と困難の双方をよく知っていたはずの松本順のことだから、調べると「あや」が出てきそうな予感がする。そして、これだけリアルな人体模型を作ることができる喜三郎の生人形は、残酷やグロテスクさ、あるいは性的ないかがわしさを売り物にする見世物の中で、独特の魅力を放ったのだろう。後に、江戸川乱歩の『悪魔の紋章』で描かれる、本物の死体が展覧される衛生博覧会のモティーフが胚胎している。

文献は木下直之『美術という見世物』(1993、東京:筑摩書房、1999)
画像は、現代の人体模型通信販売店「ヒューマンボディ」から。「ヒューマンボディは、人体に関する製品を販売しています。」 http://www.humanbody.jp/ 
たしか、この関連で、才気煥発のブロガー、nietzsche-rimbaud さんに、ウェッブ上で生理学の機能を見ることができるサイトを教えてもらったのだけれども、探せませんでした・・・ 
http://blogs.yahoo.co.jp/nietzsche_rimbaud