怪物の歴史: 驚異から嫌悪へ

 ひきつづき、Ikkaku Ochi である。弁解がましいが、なにせ、歴史研究書ではなく、写真集のレヴューである。歴史書らしい記述はごく少ない。書評の枠組みを全てこちらで作り出さなければならない。書いてみたが、あまりに軽い。知的に重みがある何かが必要だ・・・と考えて、ちょっと冒険してみようと思いついた。(どうしても書けなくて、自暴自棄になっているのかもしれない。)ダストンとパークのヨーロッパ初期近代の「怪物」論と少し絡めることである。

ダストンとパークの「自然の驚異」論は、初期近代の科学史研究の深みと広がりの到達点を示す傑作としてよく知られている。その書物の中で、怪物 monster について、後期中世から初期近代にかけて、三つのパラダイムがあったという。(彼女たちは「コンプレックス」という語を使っている。)驚異のパラダイム、好奇のパラダイム、そして嫌悪のパラダイムである。怪物は、人が罪を犯したことのしるしであり、神の怒りを警告するメッセージであった。それゆえ、人は怪物を恐れた。(驚異のパラダイム) 一方で、怪物は自然の尽きない創造力を豊かに示すものとして、それを見ることは楽しさを与えた。(好奇のパラダイム)しかし、これらは、徐々に嫌悪のパラダイムに取って代わられる。嫌悪のパラダイムにおいては、怪物を測るのに使われているものさしは、自然というよりもむしろ我々が立てた規範であり習慣である。自然を超えているがゆえに驚異と恐怖の対象であった怪物が、我々の習慣や美意識からずれているがゆえに嫌悪されるようになったという流れをパークとダストンは描いている。 

 この議論の面白いところは沢山あるが、今回改めて気がついたのは、「コンプレックス」という概念で、知的な枠組みと情緒的な反応がワンセットになったものを捉えていることである。(名著は読むたびに新しい発見があるというのは本当である!)

 さてさて、Ikkaku Ochi の写真に絡めて、どう書いたらいいんだろう? 

文献は、Duston, Lorraine and Katharine Park, Wonders and the Order of Nature (New York: Zone Books, 1998).