心理学の歴史・フーコー版

 今年の大きな目標は、日本の病気の歴史の仕事をまとめる、少なくとも目鼻をつけることである。それに加えて、幾つかの精神医療史関係の仕事が入っている。そのためにヒストリオグラフィを学び、背景知識を得たりしなければならない。そんな理由で、ずっと前に目を通して内容をあらかた忘れてしまっていた本を読み返してみる。心理学の歴史におけるイギリスのフーコー派として名高い Nikolas Rose の方法論的な著作である。

 98年に出版された著作で、しかも80年代の末からローズがあちこちに出版してきたものと重なる部分が沢山ある本だから、方法論的にはそれほど驚くようなことは書いていない。心理学、あるいは、psychology, psychiatry, psychotherapy といった psy がつく学問を「知的な技術」であると捉え、理論の中身よりも実践での使われ方に着目する。そして、psy系の学問によって、個人の特徴、行動、他人との関係などが可視化され、理解されるようになるありさまを描くことが、彼が考えている psy の歴史である。その意味で、巷に無数にある「心理学の歴史」(そのほとんどは理論史である)とは、そもそも違う問題系を立てる。そして、彼の中心的な関心は、民主主義と心理学の関係である。個人の自由を至上の価値とする民主主義的な政治体制の中で、どのようにして個人を社会に適合させ、自己実現を助け、「個人として」幸福にさせるのか。そのような個人をどのように組織化して、社会の安定と秩序と繁栄をもたらすのか。あるいは、心理学という技術は、どのようにリベラルな民主主義を社会のさまざまな脈絡において実現したのか。このような問いに関する方法論的な反省が、心理学の具体的な実践の現場において、どのように「自己」が発明されていったのかという分析を織り込みながら展開されている。

 たまたま、この前の気候馴化の仕事のときに、一つ気になったのが、医者たちが熱帯地方に移住した日本人の労働効率の維持を語るとき、そこに労働の生理学と並んで、心理学的な視点がふんだんに使われていたことだ。問題になるのは汗腺の数や新陳代謝の機能だけではない。(私は、このあいだの学会報告で、これだけを強調してしまったけど。)熱帯での倦怠感、異国での孤立感、あるいは風が与える「快感」が、取り込まれている。当時の医者たちは、明らかに心理的な問題として気候馴化の問題を考えていた。だいたい、「熱帯ぼけ」という表現にしても、生理と心理の二つの問題があることを示唆している。ローズの本を読んで、この問題を考えるヒントがいくつもあった。 

文献は Rose, Nikolas, Inventing Our Selves: Psychology, Power, and Personhood (Cambridge: Cambridge University Press, 1998).