この20年ほどで、ダニエル・パウル・シュレーバーの『ある神経病患者の回想』は、一躍19世紀と20世紀の文化研究のキャノンにのし上がった。セクシュアリティと身体と民族性と医学の権力と宇宙論の周りを巡って、心の深層をえぐる精緻にして奇怪な妄想の数々が、患者自身の手によって記録され出版された。こんな奇跡的に美味しいテキストがあっていいの?と疑いたくなるほどである。言うまでもなく、無数の研究者がこのテキストに殺到した。いま、研究書、論文のリストを作るとどのくらいになるのだろう。このテキストを主題的に取り上げた本だけでも5冊か10冊たちまち思い浮かぶくらいだから、さぞかし膨大だろう。(ちなみに、google で daniel paul schreber と入れると26,000 ヒット。)またシュレーバーか、という気がすることもあって、しばらく前にそういう趣旨の書評を学会誌に書いたこともあったが、シュレーバー研究はやはり面白い議論が多い。そして、研究者の力ももちろんだが、テキスト自体の面白さというか、アイデアを喚起する力というのが、議論の面白さにかなり貢献している。
今回読んだ本は、シュレーバーの妄想世界を、19世紀末のドイツにおけるジェンダーをめぐる権力、精神医学の規律をめぐる権力、そしてユダヤ人をめぐる権力の状況に対する<批判>として読む野心作である。反映でなく批判としたところが一つのポイント。精神分析系の洗練された研究書の常として、文章は読みにくいし、議論は複雑怪奇である。(「シュレーバーがフーコーを先取りした」という議論が出てきたときには、ちょっと慌てた。)しかし、例えばシャッツマンのような、この複雑なテキストで、その単純な読みはないでしょう・・・といいたくなるようなシュレーバー論を読むときに感ずる苛立ちはない。