隔離検疫と秩序のイデオロギー



 病気と帝国主義のビッグ・ブックを読む。文献は Sheldon Watts, Epidemics and History: Disease, Power and Imperialism (New Haven: Yale University Press, 1997).

 流行病の歴史は、幾つもの大陸にまたがって1000年くらいをカヴァーするビッグ・グローバル・ヒストリーの枠組みに収めやすい。「ペストやコレラ、インフルエンザのような世界的なパンデミーがいくつもあるし、麻疹や天然痘のように、何世紀もかけて世界中に広まっていった感染症も研究のツールになる。この書物も、ペスト、ハンセン病天然痘、梅毒、コレラ、黄熱とマラリアといったお馴染みの病気で6つの章を立てて、それぞれについてグローバル・ヒストリーというか、国際比較をするという構成をとっている。この本が出たとき、書評はあまり芳しくないものもあった。批判的な書評は、反西洋、反グローバリズムの狭い上にさして深くない視点で、広大な領域をまとめすぎているというものだった。

 全体としてはいかにも傷がたくさんあるのだろうが、部分的には悪くない。今回はペストのところだけ読み返したが、面白い指摘がたくさんあった。ヨーロッパでなぜペストに対する検疫政策が可能になり、同じようにペストに襲われた中近東と北アフリカでは検疫が発展しなかったのかという問題が章の中心である。ヨーロッパの中での時間差(検疫策がイタリアで発明されてから、北ヨーロッパで採用されるまでに100年から150年かかっている)にも着目しながら、検疫思想と政策の「ヨーロッパ性」を分析している。さらに隔離検疫の思想は「秩序のイデオロギー」と呼ばれ、民衆-エリートというかつてのニューレフトの軸で語られている。

古色蒼然としたプレディクタブルな理論立てで、事態の一部しか説明していないと評価が定まった概念装置だと言ってしまえばそれまでだが、私は、かつて流行したヒストリオグラフィは、何らかのメリットがあるから流行したのだと信じるほうで、それを引き出しに持っておいて時々使うのが好きなほうである。日本に19世紀に隔離検疫を導入されたときの事情は、ほぼ間違いなくこの手のモデルで分析されているが、そのどれに較べても、概念ははるかに整理されていて読みやすい。ペストの章は授業での読み物に最適だと思う。 

画像は19世紀ロシラのコレラ病院と戦争直後の日本の避病院。 農村の隔離病院なんてこんなものか、というのははじめてみたときには以外だった。