危険因子と公衆衛生

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 アメリカの公衆衛生における危険因子の概念の発達をたどった研究書に目を通す。文献はRothstein, William C., Public Health and the Rise Factor: A History of an Uneven Medical Revolution (Rochester: The University of Rochester Press, 2003).

 細菌学のコアは「特定の細菌が特定の病気を起す」という単一病因論である。フィールドや疫学がインスピレーションを与えることはあるが、細菌学の知識は<実験室におけるコントロールされた実験>によって証明されなければならない。パスツールのひらめきでもコッホの公準でもいいが、この証明はだいたいシンプルで美しい。一方で公衆衛生や疫学は、根本的に違う現象を扱っている。病原体の侵入だけに原因を還元できる病気は極めて珍しい。感染症であっても病気の原因と考えられるものは沢山あるのが普通である。この多原因的な枠組みを使って統計的な現象を扱わなければならないのが公衆衛生学であり疫学である。1880年代に始まる細菌学の黄金時代には細菌学と公衆衛生学・疫学の共通性が強調されたが、細菌学の黄金時代が過ぎ去って急性感染症の流行が一段落すると、二つの科学の根本的な違いも目立つようになる。そして、病気の「原因」ではなく、「危険因子」の概念が生命保険会社から現れるようになる。

 細菌学とその特定病因論を主役にした公衆衛生なり感染症なりの歴史は、それこそ汗牛充棟である。一昔前の社会史では、西洋化エリートの世界観が民衆的病気観を踏みにじる悪玉として描かれる場合が多い。細菌学の役割というのはもちろん重要な問題だが、実は細菌学と実験室が公衆衛生を駆動した最大の力だった時代は短かった。危険因子の概念のプロトタイプが作られ、数学的疫学が現れ、社会疫学が現れ、社会調査が解釈される枠組みが作られていく。そのあたりを分析する、新しい枠組みの可能性を感じさせる研究書である。