戦争は自殺の質を好転させる?

 自殺のリサーチが続く。文献は、大西義衛「類聚自殺に就て」『日本医事新報』No.920(1940), 1561-1563.

 大西義衛の「昭和の新自殺型」の一連の研究の一つである。「戦国時代のハラキリ、元禄の心中に続いて、昭和は親子心中という新自殺形態を生み出した」、という大西の突っ込みどころ満載の記述は、たぶんこのあたりで話を一つ作ることになる。この親子心中の一つの変形として、近年目立つようになったものとして大西は「類聚自殺」を上げる。例えば昭和10年、大津の瀬田川で船遊びをして流行歌などを歌ってはしゃいだ後に死んだ二組の男女。三原山の火口茶屋で友人4名+そこに居合わせた人物1名でビールをそのほかで遊興して乱痴気騒ぎをした後、「横浜市鶴見区○○、一番目!」「二番目!」とか名乗りながら次々に火口に飛び込んだ者たち。これらに代表されるような自殺を大西は「類聚自殺」と呼ぶ。

 武士の切腹は、おそらく大西は「道義的香りの高い犠牲的自殺」だと考えていた。近松の心中は「死者に対して同情を起す」ような現象である。親子心中は「不祥なる社会現象」ではあるが、そこには一片の同情が湧く。しかし、大西は昭和の「類聚自殺」については徹底的に軽蔑的な態度を取り、「不真面目」と切り捨てる。大西の怒りは大きい。「ただ軽蔑の念の高まるのみ」「極力非難の筆をゆるめず模倣者続出を戒めなければならない」。そして、大西は日中戦争を契機として自殺者の数が減るだけでなく、自殺の「質」が「好転」したのを見て、「衷心わが国のために喜びを禁じ得ざる」だという心情を吐露する。彼は、日本人の自殺が「良質」なものであることを喜んでいるのである。しかし、自殺研究者としての彼は、少し残念な気持ちを隠せない。もし日中戦争がなく、類聚自殺という現象が「発育して成長した姿を観察できれば、それは自殺研究にとって貴重な症例になっていたのに、というのがその理由である。