自殺の「脱精神医学化」?


 自殺のリサーチが続く。今回はデータ分析。わりと専門的な話になります。

 18世紀以来でも、19世紀以来でも、20世紀以来でもいいけど、とにかく自殺は歴史上のある時点から「精神医学化」されたというのが、研究者の間での通り相場である。それまでは宗教上・道徳上の問題、あるいは日常生活の中での問題だった自殺が、精神医学が扱う問題になったというわけだ。 医学史研究者の用語では、このような現象を「医学化」ともいう。かつては医学上の問題ではなかったことが、医学が扱う領域になってきたというシナリオである。 

 日本で言うと、大正・昭和から自殺について精神医学者が論文を書いたりするようになった。その意味で20世紀に自殺が「精神医学化」されたというのは妥当なところである。 しかし、この数日ブログに書いていたような論文などを読んでいて、どうも違和感をもっていた。 たしかに論文はたくさんある。 しかし、その論文がどうもおかしい。 一言で言って「臨床的」な雰囲気を持つ議論が少ないのだ。  

 これは何かあると思い、半日かけてデータを整備して、戦前の東京の私立精神病院の入院患者の中で「自殺」が入院前に企画されたり恐れられたりした患者を洗い出してみた。 案の上、大正期に較べて、昭和期の患者には、自殺問題が見られる割合が減少している。 大正期には入院患者の10%近辺に自殺問題が見られたのに対し、昭和期には5%くらい、太平洋戦争が始まると2%台まで落ち込んでいる。 

 複雑なことでは有名な自殺統計だから、軽々しく結論は出せない。戦争中の激減については、戦争は自殺率を減少させるという有名な法則も働いているのだろう。しかし手元でぱっと見られる資料では、大正から昭和にかけての東京の自殺率そのものはあまり変わっていない。自殺に関する医者の論文が陸続と出版されていたときに、精神病院に送られる自殺問題を持つものの割合は減っていたということは、気をつけなければならない。