柳田国男と身体感覚の歴史

 旅行中に読み散らした本の雑駁な感想が続く。 柳田国男『木綿以前の事』(東京:岩波文庫、1979)

 なぜこの本を買ったのか忘れてしまった。読んでみると、あの仕事をしたときに読んでおけば良かった、と後悔する。最近、そういう本が多い。 

 冒頭に近い場所で木綿の効用を柳田は次のように書いている。

「[木綿の普及により] 以前の麻のすぐな突っ張った外線はことごとく消えてなくなり、いわゆる撫で肩と柳腰とが、今では至って普通のものになってしまったのである。それよりも更に隠れた変動が、我々の内側にも起こっている。すなわち、軽くふくよかなる衣料の快い圧迫は、常人の肌膚を多感にした。胸毛や背の毛の発育を不必要ならしめ、身と衣類との親しみを大きくした。すなわち我々には裸形の不安が強くなった。」

 ここで柳田が「多感」と書いているのは、sensitive という語を訳したのだと思う。柳田は、木綿の衣服の肌触りから始めて、ヨーロッパの言葉で言うと「感受性の興隆」と「文明化の過程」に至るというようなことも考えていたのだろう。この木綿の話のすぐあとに、瀬戸物が庶民の生活に入ってきたときに、「かちりと前歯に当たる陶器の微かな響き」に注目している箇所もある。 木綿の優しいふくよかさと、陶器の明澄な硬さ、というわけか。 

 「近代医療と日本人の身体感覚」という怪しげなテーマを持っていて、時々仕事をしている。あと少ししたら、話を徐々に膨らませようと思っているが、その時にヒントになる柳田の言葉だった。