ガダマーの現代医療論

 ガダマーの医療の哲学の小品集を読む。 文献はGadamer, Hans-Georg, The Enigma of Health: The Art of Healing in a Scientific Age, translated by Jason Gaiger and Nicholas Walker (Oxford: Polity Press, 1996)

 ドイツ人の学者二人と一緒に仕事をすることになり、ドイツ語圏の文献を読めと盛んに勧められている。私のドイツ語がからきしなのを良く知っているので、英訳があるドイツ語文献を教えてくれる。その関係で、ガダマーの医療論を読むことになった。彼らと一緒に仕事をしなかったら、一生知ることがなかっただろう珠玉の小品たちである。

 欠点から先に書こう。これは我々の言葉で言うserious な仕事ではない。ガダマーが現代医学の問題をきちんとフォローし、先行研究を参照して何らかの勉強をした形跡はこの本には一切ない。そのため、現代医学の問題の捉え方が、非常に抽象的な科学的医学の還元主義批判、技術的介入の操作主義批判に留まっている。大哲学者が、自家薬籠中のものにした哲学的な概念を自由自在に使って、現代の医療と科学について彼が持っているイメージを膨らませ、それについて闊達な議論を展開した随筆集である。著者の名前を伏せて Journal of Bioethicsの類の雑誌に投稿したら、査読を通らないことは間違いない(笑)。

 その一方で面白い指摘も沢山あった。今その問題を考えていることもあって、私が一番インスパイアされたのは、治療とは何か、健康とは何かということについて、ギリシア哲学・ヒポクラテス医学を絡めた議論をした章であった。医療が目標にしている健康というのは、「取り戻す」ものであって、技術によって新しいものを「作り出す」ものではない。空飛ぶ翼を作り出すことと、難病を治すことは、どちらも「わざ」の勝利かもしれないが、その意味は全く違う。後者は、新しい状態でなく「元通り」の状態にすることなのだから。健康とはすなわち、「返る」ことであり、「目覚める」ことであり、隠れてしまった調和を再び現すことである。ガマダーによると、現代の科学的・技術的な医学が被っている変容によって、この「復興」としての健康モデルが脅かされ、まるで治療が何かを「作り出す」ことであるかのような誤解が広まっているという。

 「復興」としての健康と治療、当たり前ではあるが、面白い指摘だと思う。それが現代医学によって脅かされているというのも、当たっていそうな話である。この大哲学者が具体的に現代医学の何を念頭においているのかはよく分からないけど。あるいは、そもそも何かを念頭において書いていたのかということすら確証は持てないが。