出張から帰ってきました。研究会のディスカッションで、ふと話に出したメチニコフのテキストを読み返す。文献は Metchnikoff, Elie and P. Chalmers Mitchell, Nature of Man or Studies in Optimistic Philosophy (New York: G.P. Putnam’s Son, 1910, rept., n.p: Kessinger Publishing, n.d.)
細菌学や免疫学が持つ思想的・理論的な広がりを知りたくて、しばらく前にメチニコフを色々読んだときの一冊。科学思想としては細菌学というより進化論が中心だけれども、非常に面白い本である。メチニコフが「悲観的」と呼ぶ宗教と哲学による人間性理解を批判し、かわって「科学的な」進化論的な理解を唱えるものである。・・・と書くとつまらなそうに聞こえるかもしれないが、そこはメチニコフだから、圧倒的に面白い。
まずメチニコフの人間理解というのは、根本的に悲観的である。メチニコフに言わせると、人間は不調和に満ちた、進化のちぐはぐに満ちた生物である。(進化しすぎた生き物だとか、その手の安っぽいことは言わないところが、さすが一流の科学者だと思う。)進化のちぐはぐの具体例というのも、着想が面白い。「人間には不必要に長くて、そこに雑菌をうようよ貯める害しかもたらさない大腸がある」とか、「生殖が可能になる前に性欲が発生してしまう」とか。そして一番面白いのは、人間は死ぬと決まっている生き物なのに、年老いても死を受け入れないどころか、年老いるほど死が恐怖することが、人間のちぐはぐさの一つであるという発想である。メチニコフの議論や、メチニコフが引いている文献を読むと、死生学 (thanatology)、老年学 (gerontology)など、死と老年を医学の対象として本格的に議論することが、19世紀の末に大流行したことが分かる。ちなみに、この言葉のどちらもメチニコフは使っていて、OEDはそれぞれ第二例、初例として採っている。
それから、私はこのリプリントを出している Kessinger という出版社を意識したことはなかったけど、ウェッブ上のカタログを見たら、毛色が変わった本のリプリントを沢山出していて、コルナーロとかカルペパーとか、私が重宝しているリプリントはこの出版社が出しているものだった。 Health とか medicine とか入れて、この本もリプリントで読めるのかと感心しながら眺めていたら、たまたま数日前に触れたフォイヒテルスレーベンの別の本もあって、この本を以前に知っていれば、あの論文のあそこでした議論がもうちょっと膨らんだのに・・・と残念だった。