健康増進の社会学

 医療社会学のスター学者が書いた新しい公衆衛生についての本を読む。文献はLupton, Deborah, The Imperative of Health: Public Health and the Regulated Body (London: Sage Publications, 1995). 著者は沢山の本を書いている医療社会学者。食べることに関する本は翻訳もある。

 しばらく前にブログで触れた、「現代から遡及して歴史を見るような論文」を書く準備で、未読山から取り出した本。現代の「リベラルな」公衆衛生を、フーコー以降の枠組みを使って批判的に捉える立場で問題の所在をわかりやすくマップしてくれた本である。いまの仕事に一番関係が深いので、一番期待して読んだのは、第5章の、新しい公衆衛生の言説の「受け手」の問題である。

 個人の主体性が権力によって作られるというとき、『1984年』のような大衆の洗脳の状況を考えているわけではない。その権力に抵抗したり、それを無視したりする個人や集団は、周縁化され非難されるにせよ、確かに存在している。ある個人の中でも、健康増進法の権力の甘い支配に身を委ねるときと、決然として快楽を選択するときは、交互にやってくる。ジムに通っている人ならば誰でも、苦しいワークアウトのあとのビールは旨いことを知りつくしているだろう。規律と解放、克己と快楽が、個人の人生の時間と場の中にモザイク上に分布するメカニズムまで踏まえたうえで、新しい健康の権力を捉えなければならない。

 ラプトンは、色々な事例研究を通じて、階級、民族、ジェンダー、個人のライフステージなどが、このモザイクのパラメーターになる(労働者階級の男はタバコを吸うし、老人は健康に対して宿命論的な態度を取る)ことを、紹介し、そしてこういったファクターがドミナントな健康言説に対抗的な行動を取らせるメカニズムをわかりやすくまとめてくれている。その話は、それ自体として面白い。しかし、そういった分析はガヴァメンタリティの話とかみ合っていないような気がする。最初の問題提起と違う話にずれていったような気がする。