ヴェニスの梅毒と魔女裁判

 新着雑誌から。ルネッサンスのヴェニスにおいて魔女が呪いをかけて人を梅毒にしたという告発を検討した論文を読む。文献は、McGough, Laura J., “Demons, Nature, or God? Witchcraft Accusations and the French Disease in Early Modern Venice”, Bulletin of the History of Medicine, 80(2006), 219-246.

 16・17世紀の魔女術において、魔女がどんな病気を引き起こすことができると考えられていたかというテーマは、色々なところで読みかじったことがある。代表的なものは不妊。特異な症状を示すヒステリーなども有名である。この論文は、魔女術が梅毒を引き起こしたという告発と、教皇庁によるその審問を分析したもの。魔女が誰かを梅毒にしたという告発は確かに存在したが、梅毒は自然な原因で説明できるという見解が勝利をしめた。ここには、梅毒が当時のヒステリーなどと違ってありふれた病気であり、その原因についても性交によるものだという合意が広く共有されていたことが貢献していた。魔女術をめぐる「世俗化」の流れというのは近代科学の中心問題の一つだが、その流れに位置づけると、17世紀のヴェニスでは、魔女が梅毒を起こすという告発は、交渉可能なあいまいさを残しながらも、すでに支持を得られていなかったことを示唆している。

 この論文で一番面白いのは、教皇庁などの裁判における判断が、魔女とされた人々を救う一方で、病気の責任を患者だけに負わせたという指摘である。魔女術は、ある望ましくない事態の責任は誰にあるかという、blaming のメカニズムの中で理解できる。魔女にある病気の責任を求める手段がふさがれたときに、自らの不道徳な行動で病気を引き起こしたとして、患者だけに病気の責任が固着することになる。面白い指摘である。

 この著者は医学史研究者であると同時にアフリカの現地でエイズ対策に携わる公衆衛生の研究者でもある。彼女がアフリカの現地で得た洞察が歴史研究に反映しているし、一方で歴史研究で得た洞察も公衆衛生に反映されているのだろう。