1918-19年のインフルエンザ・パンデミーをカリブ海の脈絡で研究した論文を読む。文献は、Killingray, David, “The Influenza Pandemic of 1918-1919 in the British Caribbean”, Social History of Medicine, 7(1994), 59-87.
鳥インフルエンザの脅威もあって、歴史学でもいわゆる「スペイン風邪」と呼ばれた1918-19年のインフルエンザ研究が盛んである。クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』も翻訳されたし、速水融先生の『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』も出版された。プロジェクトのフェローも日本のインフルエンザについて論文を完成させた。 中身はまだ公表できないが、かなり重要な発見が幾つかある。 あと5年ほどすると、インフルエンザの世界的な流行についての全体像がだいたい分かるだろう。
この論文はカリブ海のインフルエンザをたどったもの。15-40歳の男性に多いとか、私たちが知っているスペイン風邪の像に合致していることも多いが、いくつか重要な発見もある。一番面白いのは、島によって被害に大きなばらつきがあったことである。言葉を換えると、カリブの島々は、ひとつの疫学的なユニットに統合されていなかったということである。「島なんだから当たり前じゃないか」と思うかもしれないけど、こういう事実を積み重ねて集めると、重要な洞察を得ることができるだろう。
一方で、一つの島の中での伝播はきわめて早い。ジャマイカでは一ヶ月足らずで流行は全土の主要なポイントに及んだ。これ事態はそんなに驚くことではないのかもしれない。スペイン風邪の伝播力はすさまじく、1918年の8月には、シエラレオーネのフリータウン、フランスのブレスト、そしてアメリカのボストンと、一週間以内に世界の三箇所でほぼ同時に発生しているのだから。しかし、ジャマイカの流行地図を見ると、「伝播」を問題にする気が失せるほど、10月の後半に全島でほぼ同時に爆発的に発生してしまったことがわかる。少なくとも当時の記録では、A地点からB地点まで、Xの経路で・・・ということが測定できないほどである。
画像は、1918-19年のジャマイカの流行と、1889-90年のアジアの流行の地図。 手元に本がないから確認できないけど、日本は90年の1月と6月、二回やられたのだろうか?