高橋お伝の性器標本の一つの背景




 いつものように面白い低人さんの記事「おでん」へのコメントです。文献紹介をかねて。文献は、Lrombroso, Cesare and Guglielmo Ferrero, Criminal Woman, the Prostitute, and the Normal Woman , translated with a new introduction by Nicole Hahn Rafter and Mary Gibson (Durham and London: Duke University Press, 2004).

 蜂巣敦さんがhttp://www.h4.dion.ne.jp/~okino/kaikyou/sei-3.htm で書いていらっしゃるように、昭和7年のある軍医による性器標本の測定に、ロンブローゾの影響があったことはほぼ確実だと思います。ロンブローゾとフェレーロが1893年にLa donna delinguente として発表した書物は、女性の犯罪者と売春婦の身体測定学の最も有名な著作ですが、この書物の中でロンブローゾらは、犯罪者と売春婦についての「生得犯罪者」説を論じています。彼女たちは、生まれつきの身体的な変質のために、進化の過程を逆戻りして、道徳的判断力などが発達していない、人間の「変種」だとLらは説明します。この説を証明するために、Lは女性の犯罪者や売春婦の身体各部を測定します。

 私はお伝については蜂巣さんのサイトに書いてあることしか知りませんが、ここで引用されている昭和7年の軍医による観察の記事は、Lの著作の言葉遣いと非常によく似ています。Lは女性の犯罪者と売春婦の性器の特徴についてこのように書いています。

「性器については、私が観察したなかの16%に内陰唇の膨張が見られた。このうち2例は怪物的に大きかった。6例はクリトリスと外陰唇の膨張を伴っていた。グリエーリは、クリトリスについては13%が過度の発達を示し、、内陰唇と外陰唇についてはそれぞれ13%、6.5%が過度に発達していることを認めた」
 
これらの特徴は、進化の階梯の下部にいると信じられていたホッテントットの女性の大きな陰唇と性器の異常と非常に似ており(図1)、Lは女性の犯罪者や売春婦には<先祖帰り>の身体的な特徴が見られると結論しています。この言説においては、女性の犯罪者の性器は、文明社会に暮らす人間の身体に忍び寄っている病的な変質、言葉を換えると、我々の社会の中に一つの「変種」が現れて正常人を駆逐しつつある危機的な状況を調査するための、重要な標本になるわけです。

 変質の身体的な証拠としてもっとも重視されたのは頭と顔、特に頭蓋骨の測定です。Lらは女性の犯罪者の頭蓋骨を集め、頭蓋骨の左右非対称やいびつさなどが、犯罪者や女性に多いことを証明します。(図2)L自身が集めたサンプルでは40%に非対称が発見されました。ここで特に強調されるべきことは、Lが歴史上の有名な女性犯罪者についても、その身体を測定して変質を証明しようとしたことだと思います。Lが実際に測定したのは、フランス革命下の1793年にジャコバン派の指導者の一人であったマラーを暗殺して処刑されましたがシャルロット・コルデーの頭蓋骨です。(図3 この頭蓋骨が「本当に」コルデーのものかどうかは私には分かりません。コルデーのものだと称していた偽物の可能性もあります。)これを測定した結果、コルデーの頭蓋骨は頂部が扁平で、女性の平均よりずっと大きいなど、男性的な特徴を示しているとLは結論します。

変質の証拠としての性器、特に陰唇の大きさへの着目と、歴史上の著名な女性犯罪者の標本の測定。Lが行ったこの二つの要素が合わさった形で、昭和7年のお伝の性器標本の測定を理解できると思います。Lは女性犯罪者の性器には変質の印が現れていると考え、100年前の著名な女性犯罪者の頭蓋骨を測定してその異常を論じました。日本の著名な「毒夫」であるお伝の性器標本を処刑後50年近く経って測定することが、Lの言説の枠組みの中にあった、あるいは直接間接に影響されていたと考えることができると思います。 

以上、お伝の性器標本をめぐる複雑な背景の一つの要素です。これ以外に、もっと重要なことがたくさんあると想像します。  

ロンブローゾと変質説は最近流行のテーマですので、上で触れたことは何冊かの日本語で読める本でも紹介されていますし、私よりもよく知っている人がたくさんいると思います。たとえばグールドの『人間の測り間違い』やギルマンの『差異と病理学』などが思いつきます。ホッテントットの性器の画像は、ギルマンがインパクトがある仕方で使って、学者の間で有名になりました。