同じくマラリア関係の論文を読む。文献は Litsios, Socrates, “Malaria Control, the Cold War, and the Postwar Reorganization of International Assistance”, Medical Anthropology, 17(1997), 255-278.
戦間期には農村衛生が国際的な衛生のアジェンダになったことは良く知られている。この時期の農村衛生は、農村の経済的な再建の一部として構想されていた。アメリカのTVA、イタリアのファシスト政権のポンティーネ沼沢地の開発など、いずれも土地政策と農業開発の経済政策を、マラリア対策と組み合わせたものだった。これらの農村開発や、場合によっては社会改革とさえ結び付けられたマラリア制圧の計画は一定の成功をおさめるが、戦後のDDT散布に圧倒され、マラリア制圧は害虫駆除と同一視されていく。
この論文のポイントはマラリア制圧の経済開発モデルが戦後に衰退したのは、DDT散布を信じたマラリア学者たちの方向転換というよりも、農村の開発自体が行き詰って他に打つ手がなくなったこと、冷戦のもと、マラリアが蔓延している第三世界における社会主義・共産主義的な土地改革をアメリカが警戒したことなどに帰すべきだという議論である。沖縄を除く日本ではマラリアは必ずしも深刻な問題ではなかったが、ヒントが満載の論文だった。