フェミニズムと医学史

未読山の中からフェミニズム医学史の論文を読む。文献はTheriot, Nancy M., “Women’s Voices in Nineteenth-Century Medical Discourse: A Step toward Deconstructing Science”, Signs, 19(1993), 1-31.

 19世紀の女性の神経病や精神病の扱いはフェミニズムの学者たちがごく初期に着目したトピックであった。ヒステリーなどの原因は生殖器官にありとして、治療と称してクリトリスや卵巣を切除すること。女性の精神・神経病は、知的エネルギーがわずかしかないくせに生意気に頭を使ったせいだとして、知的・身体的な活動を一切させずに太らせる休息療法。フェミニストの怒りを買うにふさわしい療法である。後者の療法の犠牲者に有名人のC.P.ギルマンやヴァージニア・ウルフが含まれていたこともあって、これらの療法は男性の医者たちが女性に振るった家父長制権力の凶暴さの証として注目された。確かに事態の一面を突いているけど、ヒストリオグラフィとしては30年ほど前に流行ったものである。現在の医学史研究の世界では、もっとダイナミックで精緻なフェミニズムのヒストリオグラフィが支配的である。しかし、より洗練された新しい見方を教えるときの教材に、この一本!という論文が意外に思いつかなかった。

この論文はその一本になるだろう。知らなかったのが恥ずかしいような論文である。クリアに説明された議論、方法論的な洗練と分かりやすさ、学生用に申し分ない。いくつものフェミニズムと科学史のアンソロジーにも採録されていて、人気の高さが伺える。

話は簡単である。当時の医学における女性の精神・神経病の扱いは、異なる分科の医者たちの間での縄張り争いというアスペクト抜きには理解できないこと。産科医は子宮と生殖器官を中心に女性の神経病を理解し、神経・精神科医は全身にいきわたる神経と患者の生活を枠組みにして捉えた。当時現れていた女性の医者たちは、精神病院で患者を観察し、分科としては産科に属していながら、産科医たちとも精神科医とも異なる病気の理解を示したこと。そして女性患者たちの「声」が当時の医学の病気の理解に「取り込まれて」いること。ここには外科手術は女性患者たち自身が望んだことであるという旧フェミニストの逆鱗に触れそうなことも書いてある。