18世紀フランスの産婆教授

 18世紀フランスの産婆、マダム・デュ・クードレ(Madame du Coudray) の伝記を読む。文献はGelbart, Nina Rattner, The King’s Midwife: A History and Mystery of Madame du Coudray (Berkeley: University of California Press, 1998).

 産婆(midwife)の歴史はこの20年ほどのフェミニズム医学史の古典的なトピックである。都市部には特別な訓練を受けた産婆もいたが、農村部には、まさに「産婆」という言葉から我々が普通に連想するような女性が子供を取り上げていた。人のお産に何度も立ち会い、あるいは自分でも子供を生んで場数を踏んでいる女性たち、裏返せば実地での経験以外には、なんら特別な訓練をされていない女性たちである。

 デュ・クードレは前者のタイプの産婆であり、パリで開業し徒弟を取ったりしていたが、1751年に乞われてオーヴェルニュのクレルモンという街に移住する。領主が土地の人口減少を憂え、当地の女性たち、特に農村に居住する女性に産婆術を教えてくれるようデュ・クードレに頼んだ結果である。彼女の講習会はすぐに有名になった。特に彼女が作った、詰め物をした産婦と胎児の実習用の模型は評判が高かった。そして1759年から彼女は王の勅命でフランス中を回り産婆術の講習を授けるようになる。生殖とフェミニズムアンシャン・レジームの王権が絡みあう、この美味しい主題に関する英語圏では最初の大規模な研究である。

 この書物は構想も野心的であり、伝統的な伝記のスタイルである「流れ」とか一貫性といった仕掛けに意図的に反逆している。10年間フランス中を駆け巡ったリサーチの成果を、惜しげもなくポストモダニズム風に構成し、書物を構成する63個の節で、彼女自身が演出した「デュ・クードレというフィクション」の諸相を描くという戦略を取っている。膨大なリサーチを背景にした記述は的確で深い。上の簡単な紹介から、例えばフーコーのバイオパワーや、身体の物象化といった理論装置を思い浮かべた人が多いと思うが、大学院に入りたての学生が興奮するようなそういった分析装置は背景に留めて、表面上はデュ・クードレの行動を記述している。歴史学者でない人が読むとちょっと警句風の面白い伝記としてさらりと読めるだろう。医学史や身体の歴史のヒストリオグラフィを知らない学者が読むと、ただある産婆についての事実を記したナイーブな書物だとすら思うかもしれない。つまり、この書物は、読み手の力量によって見せる顔を大きく変えるのであり、それ自身が、ポストモダニズムの歴史学が唱えているテキストの読みの複数性の証言になっているという手が込んだ仕掛けになっている。私自身、この書物がおそらく持つだろうフランス史の脈絡での理論的洗練は全く読めていないだろうなと思う。

 このようなねじれた歴史記述に好き嫌いはあるだろう。「伝記」でこの手法を使うという過激さについても評価は分かれるだろう。しかし色々な意味で、緻密な研究に基づいたポストモダン史学の野心作であり、一読に値する傑作であることは間違いない。