南アフリカの結核

 19世紀末から20世紀前半にかけての南アフリカの結核の歴史疫学の論文を読む。しばらく前にマラリアの論文を紹介したパッカード。文献は、Packard, Randall M., “Industrializatio, Rural Poverty, and Tuberculosis in South Africa, 1850-1950”, in Steven Feierman and John Janzen eds., The Social Basis of Health and Healing in Africa (Berkeley: University of California Press, 1992), 104-130.

 南アフリカでは、移民してきたヨーロッパ人以外には19世紀の後半までは結核は滅多に見られない病気であったが、1880年代から現地人に観察されるようになる。いっそう盛んになったヨーロッパからの入植、結核の転地療法に適した場所としての流行などが、南アフリカに結核が持ち込まれた原因である。まずヨーロッパ人の結核が、ヨーロッパ人と接触する機会が多い大都市部や人口集積地の黒人に感染する。単なる接触だけでは結核は感染しにくい。黒人たちが、工場や金鉱山やダイヤモンド鉱山など、南アフリカの経済発展とイギリスによる搾取を支えた産業において、劣悪な労働条件で働かされたことが感染の条件を提供する。不十分な栄養に加えて、鉱山で用いられたケイ素によるシリコーシスも結核を引き起こすひとつの条件になったと考えられる。このように都市、あるいは人口が密集する産業地帯で結核に罹患した現地人は、出身地方に戻る。雇用者によって送還されることも多かったが、彼らが移民労働者であり、都市に定住せずに農村に帰ったことも結核の拡散を助けた。都市などからの帰還者が結核菌をもたらした地方部においては、商品作物の栽培が優先されて自家消費用の作物栽培が犠牲にされて栄養水準が下がり、しかも産業化のひずみで貧困化していたことも、地方における結核罹患の状況を悪化させた。このメカニズムで、20世紀の前半には南アフリカの農村部にも結核が蔓延したのである。

 石原修の傑作『女工と結核』とほぼ同じじゃないか。森羅万象さんのレポートの課題図書がまた一つ増えた(笑)。  

Packard のマラリア論文についての記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/41343475.html