コレラとベルツと狐憑き

ベルツの論文集を読む。文献は、エルヴィン・ベルツ『ベルツ日本文化論集』若林操子編訳、山口静一・及川茂、池上純一、池上弘子訳(東京:東海大学出版会、2001)

『ベルツの日記』で有名な東大医学部の教授のエルヴィン・ベルツは、東大医学部初期の歴代の外国人教授の中で最も有名である。体温の診断への利用で有名なヴンダーリッヒのもとで名門のライプツィヒ大学の助手になり、ドイツ医学のアカデミズムのコースに乗っていたが、1875-6年に目が眩むような給料を提示されて東大に赴任し、一時的な滞在のつもりが日本で30年を過ごすことになるという経歴の持ち主である。ベルツの多様で旺盛な知的活動は近年再び注目されており、日本と東アジアの医学的人類学・民俗学研究者としての側面が、この論文集ではクローズアップされている。それも含めて本格的な研究が俟たれる主題の一つである。

論文はどれも質が高く豊かであり、興奮しながら読んだ。狐憑きについての論文は、ベルツが観察した症例における二重の人格の存在を鮮やかに描いたもので、圧倒的な深さを持っている。それを読んでいて、妙なことが気になった。狐憑きとコレラが似ているという話である。本書のベルツの狐憑き論文から引用する。

「村のある女性から追い出された狐が新たな潜入先を探しているので、くれぐれも用心しようという話になりました。この話は哀れな農婦 [ 患者 ] の頭の中を駆け巡り、早くもその晩、思いがけず誰かが戸をあけたとたん、彼女は左胸にチクリと痛みを覚えました。それが狐だったのです。それ以来、彼女はすっかりとり憑かれてしまいました。」(後略)

村で狐が放たれ、それがとり憑く先を探している。そして件の女性の警戒にもかかわらず-あるいはそれを心配していたからこそ-チクリと刺して狐は彼女の体に侵入し、その結果、彼女の人格は変わってしまう ―― このモデルは、コレラの感染と、かなり重なっていないだろうか? 身体の管に入る「クダギツネ」というのも分からないでもない。脅威-侵入-感染ということである。こんなことを思いついた背後には、少し前に読んだ坂東真砂子さんの『狗神』だとか岩井志麻子さんの「密告函」(『ぼっけえきょうてえ』所収)といった、間違っても学術論文では口にしてはいけない書物の影響があるのだけれども。でも、もしかしたら、当たっているかも(笑)。

なお、本書の姉妹編として、同じ若林操子の編集による未発表の日記が収録されたものがある。エルヴィン・ベルツ『ベルツ日本再訪』若林操子監修、池上弘子訳(東京:東海大学出版会、2000)。こちらもとてもいい資料である。