だいぶ前に読んだ塩の文明批評を読み返す。文献は Pierre Laszlo, Salt: Grain of Life (New York: HaperCollins, 2002) 翻訳も出ている。
著者はフランスの化学者。塩は交易されて、海や山や沙漠を越えて人々を結びつける媒体であった。調理にしろ食料の保存にしろ、ささやかだけれども生活に不可欠な魔法を実現する不思議な物質だった。そんな塩をめぐる自然科学と歴史、文学、芸術と思想がきらめくように散りばめられた美しい評論。鋭い洞察と詩的でスタイリッシュな警句。縦横無尽に繰り出される博識は議論のコンテクストに小気味よくはまっている。英語で wear one’s learning lightly という言葉があって(きっとフランス語にもあるのだろう)、「博識を軽々と身にまとう」という語感である。日本語の「薀蓄を傾ける」というのと対極にある作法だと私は思っている。この本は少し前に翻訳が出たが、あるネット書店のカスタマーレヴューに「塩についてのウンチク本」と評してあったのを見て、正直言って驚いた。日本の学者も、ブログに読書ノートを書くようなウンチク的行為にふけっていないで(笑)、博識を軽く身にまとうお作法を習ったほうがいい。
このフランスの先生のスタイリッシュな博識を少しだけ。朧月夜さんがお得意の恋愛論だけれども(笑)、スタンダールの『恋愛論』では、ザルツブルクの塩の鉱山に投げ入れられた木の枝にできる塩の結晶に喩えられて恋愛が説明されているそうだ。「愛している人の中に、そのつど新たな完成を発見する心の働きが<結晶化>である」とスタンダールは書いている。
狂気にも似た恋愛とは、白い透明な塩の結晶を作る心の作用であると論じた19世紀の医学に強い興味を持っていた小説家がいたこと。面白そうだから憶えておこう・・・という浅ましいことを考えてしまうから、日本の学者はダメなんだろうな(笑)
画像はこの書物の表紙。表紙からしてお洒落ですね。