タイの注射医

 今書いている論文の関係で、第三世界の医療利用についての多様な論文を読み散らしている。色々なトピックが次々と出てくる。エチオピアの医者の利用率や、WHOのHealth for All by 2000の理念をめぐる論争など。(後者は、WHOの責任ではないのだろうけど、今となっては悪い冗談にしか聞こえない。)その中で、タイの注射屋についての面白いエスノグラフィーがあった。文献はCunningham, Clark E., “Thai ‘Injection Doctors’: Antibiotic Mediators”, Social Science and Medicine, 4(1970), 1-24.

 第二次世界大戦後のタイでは、西洋的な近代医学を学んだ医者とも伝統医学を学んだ医者とも違う「注射医」が存在したという。近代医は都市に集中して農村部には少なく、公立の診療所にいる医者たちと村人の間には心理的な距離がある。伝統医は尊敬されているけれども、村人は医療という点では余り相手にしていない。その空隙を埋めるようにして「注射医」(英語では injection doctor – 原語では、maw chiid jaa (おそらく今タイにおられるhillsidecsx さんにしか分からないと思うけど)が活躍する。色々な病気に対して薬屋で仕入れた輸入・国産の抗生物質を注射するのが彼らの主たる仕事である。この行為は非合法であるが、実際上はほとんど問題になっていないという。彼らはかなりの収入があり、あるものは村で一台のオートバイ(ホンダ)を所有している。バイクの音が聞こえると、注射医が来たと分かるという。彼らは程度の差こそあれ村の中に溶け込んではいるが、村人たちの友人というわけではない。彼らが村人の病人に接する態度には、親しみやすさと専門家のオーラの双方がミックスされているという。近代医学のエリート文化を、単純化して親しみやすくして、エリートの文化と民衆のそれを媒介する「境界的な」治療者だという。

 私の世代の人間は「抗生物質を出さない頑固な名医」を憶えていると思う。私は小さい頃は病気をすることが多く、子供の時に何度も入院したけれども、私がいつもかかっていたN先生にはついに抗生物質は一度も貰えなかったそうだ。現在の医療のコードではN先生は「間違っている」ことは、頭では分かっている。医学史、医療社会学、医療倫理学、医療人類学、患者の権利学、私が知っているあらゆる基準に照らしてN先生は尊大・傲慢・頑固な専門家支配の体現だった。しかし思い出してみると彼には「何か」があった。より正確に言うと、現代と未来の医学が失った・あるいは失うことになる「何か」をN先生は持っていたと思いたい私がいる、ということだと思うけど。